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「先生」はどんな場所にでも,何人いてもよい

 学校評価は,学校という枠の中にいる人間をあくまでも中心として,そのはたらきを評価するものです。

 子どもを中心に「教育」という制度なり機能なりを考えると,

 評価は「学校評価」に限らず,「家庭の教育評価」「地域の教育評価」など,何通りもあってよいはず。

 しかし,その「評価主体」がいない。

 もし,「教育」に関する「評価」を,子どもに一手に担わせたら,どのようなことになるでしょうか。

 「評価」には,「規準」・「基準」が必要です。それはだれがつくるのでしょうか。

 もし仮に,「学校」や「家庭」に対する「評価」が低くなった場合,それを高めるための責任はだれが負ってくれるのでしょうか。

 こういうことで悩まないためには,

 「子どもに評価させるなど,もってのほかだ」

 という態度をとるのが一番,ラクな方法です。

 「評価なんか必要ない」

 という立場なら,どんなに教育の手を抜き,質が落ちようが,反省をせまられることはなくなります。

 私は,やはり

 子どもには「基準」「規準」をもたせるべきだと考えています。

 おそらく,どんな子どもでも,

 「教え方の上手な先生」

 「話を聞いてくれる先生」

 「尊敬できる先生」

 に出会えれば,「そうでない先生」との違いも分かるようになります。

 「家庭」は比較の対象がないので難しいかもしれませんが,

 「ホームステイ」などの体験をすると,気づくことがあるかもしれません。

 子どもの立場から見た

 「本当の教育改革」とは,

 「すべての人を先生に見立てる」ことで「始まる」のかもしれません。

 何かが学び取れれば,その人はその子どもの「先生」になるのです。

 よりよき「先生」を求めるのが得意な子どもが,めきめきと成長し,

 それが苦手である子どもとの格差が広がっていく。

 今は,親が「よりよき先生」を与える,という時代ですが,

 「与えられるまま」の子どもの「成長力」がどこまで期待できるか,疑問なところです。

 「先生」は,どんな場所にでも,何人いても,よいのです。

 「社会科」の役割が,また拡大していきそうな気もしますが,

 全教科の中心に位置付けられる日が,遠くない将来,来るかもしれません。

 教育の目標,道徳の目標や内容,社会科の目標と内容,総合的な学習の時間の目標と内容例を比べてみてください。

 すでに,あるべき教科の姿は描かれているのです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より