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75歳以上の方を対象にした「義務教育」制度の創設を!

 後期高齢者を対象にした,「義務教育」?

 「義務」にも「教育」にも違和感というか抵抗感がありますね。当然ながら。

 今後,小学校をはじめとして公立学校の統廃合が進みますが,その跡地をどう利用しよう,と考えたときに,一番,対象となる人が多い年代で,かつ,その施設を利用できる時間がある人といったら,後期高齢者しかいない,という時代が来るでしょう。

 集まって,何をするのでしょう。

 場所は「学校」ですから,いろんな「施設」「道具」があります。

 「保健室」が混雑すると予想できるかもしれませんが,本当に具合が悪い人は,「登校」されなくてよいのです。

 「校庭」ではゲートボール?

 「体育館」では体操?

 「図書室」では・・・・「被服室」では・・・・「コンピュータ室」では・・・・・「工作室」では・・・・・・「音楽室」では・・・・・

  
 日本という国が,「ただの長寿国」ではなく,「天国に行くまで」「仏様がお迎えに来るまで」学び続けることができる「教育大国」となったとき,世界史上,初めて「先進国」とよばれる価値が生まれるのではないか,と勝手に空想をめぐらしています。

 75歳になった私の母はまだ現役の商売人で,もちろん「学校に通う」ゆとりはありませんが,

 この母にも「学ぶことの楽しさ」「学び続けられることのうれしさ」を味わってもらいたいという希望をもっています。

 愛想のない,原稿棒読みのナントカ大学のように,テレビで「がくもん」をするのではなく,

 「教室」で,同年代の人たちといっしょに机を並べて,話をきいたり,議論をしてみたり・・・・。

 小学校のときは,

 「あなたは授業中の発言が少ないですね」

 なんて担任教師にケチをつけられて,低い評価しかもらえなかった人でも,

 「後期高齢者学校」の学生レベルになると,「評価がなんだ」といっておしまいです。

 
 大勢で集まって「笑う」こと。

 大勢でいっしょに「動く」こと。

 大勢でお互いに「教え合う」こと。

 
 クラスメイトの横のつながり。

 70代,80代,90代の縦のつながり。


 「学校」というところでしか,味わうことのできない「楽しみ」が,あるはずです。

 
 日本という国には,「卒業」という言葉はなく,あっても「他界」と同じ意味になるような日が,・・・・来ることはないでしょうか・・・?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より