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「橋下総理」誕生後のシナリオを考えている中学生

 「ゆとりの中で生きる力を伸ばす教育」が行われていなければ,タイトルのような発想ができる中学生は生まれなかったかもしれません。

 「詰め込み」と悪態をつかれても,「必要となる知識・技能」の習得には時間をおしまずに努力し,力をつけることができる能力も,「生きる力」に含まれています。

 小学校とは異なり,中学校は「時間的なゆとり」がありません。

 一度,小学校の教師も中学校に「体験入学」してみると実感できることでしょう。

 「このペースで動ける子どもを,小学校6年生のときに育てていたか?

 生徒たちは,「時間的なゆとり」のない生活の中でも,「5分前行動」を心がけて,また,「次の次のこと」までを考えて,行動を起こし,「ゆとり」を生み出しています。

 ある人は,企業の面接でみている力を,次のように表現しています。

対人コミュニケーション能力に伸びしろはあるか

誠実さは偽りではなく今後も継続的に信じるに値するか

逆境での柔軟な解決能力を身に着けることができそうか

仕事に関する知識を吸収するスピード感は持ち合わせているか


 「伸びしろ」「継続的な誠実さ」「柔軟な力」「スピード感

 これらを身についている人間の潜在力が「ゆとり」であると考えることもできます。

 中学生たちは,「橋下内閣」誕生による日本の変化に関心を持ち始めました。

 もう行動を起こしている大人たちもいることでしょう。

 中学生たちは,目先の自分の利益のことを考えずにすむ年代です。

 目先の利益を優先する大人よりは,よほど,「社会」のことを考えているのが中学生ともいえるでしょう。

 (「選挙に勝つ」戦略を単純に「目先の利益」と呼んでいいかどうかは,内容にもよりますが)


 「橋下総理」は,私の想像ですが,そういう中学生の声をまともに受け止めるでしょうね。

 もし現橋下市長に,上の4つの「潜在力」はあるか,と問われたら,皆さんはどのようにお答えになりますか?


 *社会科の授業で橋下市政などを扱ったりしたことはありません。あくまでも,中学生の雑談の中から聞こえたきた声をご紹介いたしました。


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コメント

こんなところに書いていてはカルロスさんも気づかないかもしれませんが,はばかる内容でもあるので,失礼します。
子どもは,大人世界を非常に冷淡に見ているところがあります。
私が話を聞いていたその子どもが,自己の経験から,最も冷淡に見ている大人はだれだと思われますか?
それは,公立小学校の教員です。
詳しいことを述べることは差し控えましょう。
そういう情けない大人とは違う,橋下市長の毅然たる態度に,子どもは自分のよく知っている「大人」とは違った面を見ているのです。
でもやっぱりまだ中学生ですから,
経験してしっている「大人」の範囲は狭い。
もっと多くの「大人」を知れば,公立小学校の教員の立場はますます厳しいものになってしまうかもしれません。
とてもたいへんな職場であることを,不憫に感じております。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より