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教師の条件は「広い視野」です

 人間は,ときに極端な方に偏りがちです。

 もし日本が二大政党制になると,政権交代が起こるたびに,実は二大政党制ではなく,「一大政党制」の様相を呈するようになるという危惧があります。

 日本人がとても得意な「振り子現象」です。

 どういう人間を育てるべきかと聞かれて,社会科の教師は教科目標にもある通り,「広い視野をもつ人」を第一にあげる人が少なくないでしょうね。

 「広い視野をもっている」ということは,「思いやりがある」とか「向上心をもつ」とか,「基本的な知識や技能を身につけている」とか,多くのことも同時に実現しているはずだと考えられるからですね。

 「広い視野がない」人間には,

 まともな「反省」など決してできません。

 「広い視野をもつ」と,こういうことが言えるようになります。

******************

 「教師には,情熱が必要だ」という人に対して。

 ・・・・一部の活動だけに,情熱を燃やしている教師がたくさんいませんか。

 不思議なほど,「定時に帰る」ことに情熱を燃やしている教師がいます。

 組合活動への情熱の高さで,授業を自習にしてしまうほどの教師がいます。

 部活動の指導しかできない教師がいます。

 「一部の奉仕者」になる情熱ではなくて,「全体の奉仕者」としての情熱が教師(教育公務員)には必要なのです。

 子どもに対する直接的なはたらきかけだけに「情熱」を傾ける教師の多くは,「自己満足型」です。

  「情熱を傾けている」と「自分に酔う」人間たちにとっては,子どもたちの成長は「そういう気分を味わうための道具」なのです

 「自分は情熱を傾けてこれだけがんばっている(がんばってきた)のに,どうして自分の指導について,あれこれ言われなければならないのか」という反応を起こす人間が見ているのは「自分」であって,「子ども」ではないのです。

**************


 「教師には,相手を気分よくさせられる力が必要だ」という人に対して。

 ・・・・これを,「相手を気分悪くさせてはいけないこと」と勘違いする教師がいます。

 すぐ近くにもいませんか。

 子どもだけでなく,周囲の教師たちにも常に「いい人」と思われていたい,という人が。

 小学校や中学校の,「子どもを気分悪くさせてはいけないこと」を最重視したい教師が,子どもたちの問題行動の多くを「なかったことにしたい」気持ちになるのはよくわかりますね。

 小学校の校長が,「荒れているクラスもあるなあ」とのんきでいられる気持ちもわかりますね。

 勘違いしているからです。

 教育の世界で,「子どもの気分をよくさせる」のは,「何を通してなされるべきか」が語れないような人間は教師には向いていません。

***************

 
 「教師には,作文力が必要だ」という人に対して。

 もう,私が書くことはみなさんのご想像の通りです。

 どんな指導力不足教員でも,採用試験のときの「作文」は立派だったはずです。

 教育実習生ですら,「授業実践をする上での留意すべきこと」の「作文」は,とても立派に書くことができます。

 教師になるための条件と,

 教師を続けていける条件を,分けて考えることが重要なのでしょうね。 


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コメント

本当にその通りだと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より