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虚飾の小学校への本音の言葉

 保護者をはじめ,「外部」の人間には「いいところを見せよう」とはりきる小学校の教師の中には,

 自分のクラスの子どもどう見られるかは全く気にしない人がいます。

 おかげで中学校では様々な情報が収集できるのですが,

 様々なタイプの問題を聞くなかで,

 小学校という「虚飾の世界」を熱心に演出する教師たちに共通しているのは,

 「正しいミラー」を持っていない,ということでしょう。

 正しいミラーを持っていないのに,外部からの目を気にするって,矛盾しているようで,そうでもないのです。

 私が名づけた「ミラー現象」とは,「鏡に映っている愚かなものが自分であることに気づかないで愚かだ愚かだと批判してしまうこと」・・・・つまり,

 「鏡を見ない裸の王様」のような存在になってしまうことを意味します。

 人間というのは,人の目に自分がどう映るかを知ることで,自己認識ができるようになるという一面があります。

 しかし,「本音」をぶつけられたことがなく生きてきた人,

 今でも,友達にすら「本音」が言えず,「空気を読んで」ウソの自分を演じるしかない環境で生きてきた人,

 こういう人には,本当の自分を知るための「鏡がなかった」のです。

 それで,中には「自分がわからない」といってカウンセリングに通う。

 だれか,その人に本当のことを言ってあげてほしい。

 ・・・・・こういうことが,小学校にはたくさんありませんか。

 もちろん,中学校にも,高校にもたくさんあるのですが,それは生徒も分かっているから,

 そして,相手に言っても意味がない(耳を貨なさい)ケースがあるから,ここではおいておきましょう。

 小学校の教師なら,「このままではまずいな」と気づけるはずです。

 子どもは「まずさ」に気づきにくい(認めにくい)面があります。

 家でも,学校でも,ほとんど1人でめんどうをみている人を「問題のある人」と見なしながら生きるのはつらいものです。だから子どもは,無意識に,「大目に見ている」のです。

 でも,「まずさ」が「正しいこと,当然のこと」だと認識したまま中学校に進学してくると,不適応を起こす可能性があります。

 「どうして掃除用具で遊んではいけないのか

 「どうしておにぎりでキャッチボールをしてはいけないのか

 「どうして授業中にマンガを読んではいけないのか

 と堂々と主張する中学校マイナス1年生にとって,

 「それはいけないことだ

 と言われて,もしそれを受け入れてしまえば,

 たった一人しかいなかった,「育ての先生」の「まずさ」を認めなければならなくなるからです。

 とても気の毒なことです。

 小学校にも,一人くらい,本当のことを言う人がいてもいいでしょう。

 「出る杭」になる人が,小学校には必要なのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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