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人の笑顔を見たいから,笑顔にさせることをしたい???

 若い先生へのアドバイスです。
  
 子どもにこういうことを言ってはいけません。

 「私は,みなさんの笑顔を見ると,幸せな気持ちになります。だから,みなさんが笑顔になるような仕事をいっぱいしたいです

 なぜいけないか,わかりますか?

 これは,「無償の愛」ではないからです。
 
 「結局,満足したいのは自分なんですね」と見られます。

 だから,

 「笑顔を見ると自分が幸せな気持ちになる」ことは,思っていても,口に出してはいけないのです。

 「みなさんが笑顔になるような仕事がいっぱいしたい」だけで,よいのです。

 これで少なくとも,

 「自分もそれで満足したい」という「ホンネ」は隠すことができます。

 「無償の愛を人に提供したい」と思っている人は,

 「無償の愛を人に提供する」とは書いてはいけないのです。

 ああ,あの人は,「無償の愛を人に提供する」なんて書いて,「いい人だ」と思われたいんだな,と思われるのがオチなのです。

 なぜなら,この人が一切の釈明をしない言葉が,

 「●のおかしい人が通う◎◎」だから。

 この言葉に責任を感じない代償が,上の「オチ」です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より