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外国のものまねが「改革」になる時代は続く

 おそらく大学の秋入学決定に伴う,「空白期間の解消」がねらいでしょう。

 高校3年生の秋に,卒業させてしまう,改革案。

 高校3年生の春を待たずに卒業できる仕組みとも図からは見て取れます。

 高校って,何のために存在するのでしょう。

 文科省も,「実態」に則した高校の「類型化」に走り始めました。

 ある一定の能力を満たせば,卒業できる,という仕組みができるようになる一方で,

 一定の能力に満たない人も,卒業させてしまう仕組み。

 けっこう露骨に,「社会にとって欠かせない優秀な2割の人間」を優先的につくりだす,そういう「人材育成観」が文科省を覆うようになっているようです。

 文科省の存在意義が,問われてくる時代になることは,以前にふれました。

 文科省ではない,別の省庁の人間に,日本の教育を考えさせると,こうなるのだろうな,という「改革案」が出てきたことは,日本全体にとってはプラスなのか,マイナスなのか。

 日本という国の役所に限った話ではないかもしれませんが,お金をもっていない省庁の「重み」はない。

 その「重み」が,「別の省庁の人が考えるとこうなる」式に生まれてきたのは,転機と言ってよいでしょう。

 もしかしたらより現実的になってくるのは,

 「小学校から中学校への飛び級」でしょうか。

 あのスカスカな教科書を軽くクリアした子どもが,どんどん中学校に進学してくる。

 冗談抜きで,5年生の終わりくらいには,入試問題が普通に解けるようになっている子はけっこういるでしょう。

 小学校とは何だろう。

 中学校とは何だろう。

 外国のものまねをしていれば,「改革」になる省庁というのが,平成になってもまだあったようです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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