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プロ対プロとアマチュア対アマチュアの「打率」の違い

 自分の出来不出来を「打率」にたとえて話をする人がいますね。

 プロの「打率」の意味が,おそらく全くわかっていらっしゃらない方が,そういう「たとえ」を使います。

 「たとえ」のセンスがない人同士がブログのコメント欄でやりとりしているのを読むと,どうしても「同一人物」にしか見えなくなってくるのが不思議。

 一般的な草野球の世界(リーグでトップクラスではない,という程度の意味です)では,打率が3割とか4割では,「いいバッター」とは見られにくいのです。

 打率が5割を超えて,ようやく「たよりになる」バッターと呼ばれる。

 プロの世界とはレベルの違いすぎる自分の「失敗談」の披露を,有名選手の打率まで持ち出して語るのは,謙遜しているというより,プロの世界を冒涜しているという姿に近いですね。

 ミスター長嶋と自分の「打率」が同じですって・・・・。

 謙虚さを人に求めているから,ときどき「自分は謙虚な人間ですよ」みたいな記事を書いてお茶を濁しているようですが,「見せかけの謙虚さらしさ」が,「たとえの質」で分かってしまうのです。

 「謙虚にしているのに,非難するとは何事だ!」と怒るようでは,まだまだ「謙虚」のレベルが低すぎるということですね。

 謙虚ではない人間というのは,自分が成功したつもりになって得意がるのを一生懸命こらえているので,「成功したつもりになっている愚か者」なんて趣旨の記事を読むと,怒りがおさまらないでついつい記事にしてしまうのですね。それでいつも本性が見えてしまうのです。

 本当に謙虚な人間というのは,自分の専門的な知識をわざわざブログなどでひけらかさず,中途半端な実践を公開したりせず,ただただ他の人が言うことから「学ぶ姿勢」を崩さない人のことを言うのです。
 
 「見せかけ」ばかりの人間かどうかの「見分け方」をご紹介しました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より