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「原因不明」のことが多々起こる一方で・・・・

 大量のイワシの打ち上げ,

 中国での「co.jp」サイトが閲覧できなくなる騒ぎ・・・・

 「憶測」が飛び交っていますが,「原因は不明」です。

 「自然現象」や「他国の政府の動向」について,

 「警戒」するのは,誤った態度ではないでしょう。

 世の中には「原因不明」のことがたくさんあるなかで,

 私たち教師がはたらく学校現場における,

 「教師不信」の原因は明らかです。

 指導力不足から不正行為,犯罪にいたるまで,

 「ひととおりの問題」はそろっています。

 バッシングが起こっても,不思議ではありません。

 やるせないのは,

 本来はバッシングの対象ではない人たちが,心を痛めていることです。

 犯罪者のクラスの子ども。

 心を病んで現場を去って行った教師のクラスの子ども。

 小学校の子どもの場合は,毎日,ほぼ毎時間,顔を突き合わせている人が,

 逮捕されたり,学校に来られなくなったりする。

 どのような気持ちで,

 「次の人」を迎えるのでしょう。

 子どもたちによっては,「次の人も」,という経験をさせられるわけです。

 **************

 子どもを亡くし,残された親たちがやりきれない思いを抱かされ続けている町があります。

 東日本大震災後,まだ,「本当のこと」を知りたい人たちが,

 「学校」「教育委員会」の「正しい説明」を求めているのです。
 
 二転三転する説明に,子どもを失った哀しい気持ちは怒りの気持ちへと転化してしまっていることでしょう。

 まだ,続いているわけです。

 現場を離れている(そのときも,現場を離れていた)「元校長」の責任は,限りなく重いものです。

 退職した今でも,その責任を果たすべきであることは言うまでもありません。

 責任を果たすことは,どういうことか。

 退職した後,現場に立っている人間は,痛いほど感じていることでしょう。

 話は逸れますが,自分のやっていることを公開して喜々としているような人間に,
 
 教育現場の課題を真剣に考える姿勢があるとは考えにくいです。

 学校のどこにどのような課題があり,どうしたらそれが解決できるか,考えぬいた人間ができることは何でしょう。

 「自分でやるべき」ことと,「自分がやるべきではない」ことの区別ができない人が,特に小学校には多い。

 学級担任としての仕事が,他のあらゆる仕事よりもはるかに大きな比重を占めているので,無理もないことだと同情もします。

 一つうかがいたいのは,

 多くの子どもと教職員の命が犠牲になった小学校から,何が学べているのでしょう。

 学校には,小学校に限らず,「原因」が非常にはっきりとわかっているのにもかかわらず,手つかずで放置されていることがたくさんあります。

 お金がなくても,人間の努力でできることが,山ほどあるのに。

 「実践報告」を読んだり,「研究発表」を聴いたりするたびに,

 「問題は何ですか」と問いたくなるのは,私だけでしょうか。

 その「実践」や「研究」は,「問題の解決」に貢献できることなのですか。

 全くの逆効果を生んでいませんか。

 原因は,研究とお祭りを混同していること。

 せっかく呼んだ文科省の教科調査官に,「本音を語らせない」ことです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より