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辞書をたよりにする外国人には分からないであろうこと

 「言葉の正しい意味」を知るのに,辞書をたよりにしなければならない外国人に対しては,

 「理解するのは難しいことだろうな」と思うのが一般的でしょう。

 日本人が使う「おかしな」英語は,日本人にとっては,「わかりやすい(和製)英語」なのかもしれません。

 同じように,日本語を母語としない人が使う「おかしな」日本語は,それを使っている人間にとっては,「その表現のどこがおかしいかわからない」ものであることは無理もないこと。

 話は変わって,

 dolceさんが「辞書に書いてある」と言っている,「切磋琢磨」の意味は,

>学問や人徳をよりいっそう磨き上げること。また、友人同士が互いに励まし合い競争し合って、共に向上すること。

 という説明の後半部分のことですね。

 「また」という接続詞の意味を,辞書で引いて調べてみたらいかがでしょうか。

 友人同士が互いに・・・・して,学問や人徳をいっそう磨き上げることも含まれますが,

 自分の力で,学問や人徳をよりいっそう磨き上げることも,「切磋琢磨」で表現できるのです。

 「切」とは骨を加工する時の,

 「磋」とは象牙を加工する時の,

 「琢」とは玉を加工する時の,

 「磨」とは石を加工する時の作業をそれぞれ言い,

 それらの作業は,手間と緻密さが要求されます。

 人と協力したり,競い合ってやると高い効果がねらえるかもしれませんが,

 一人でできる力を伸ばすという意味にも使えるのです。


>切磋琢磨の言葉の意味は「友人同士」ですから、一人ではできません。

 というdolceさんの見方は一面的で,

 「友人同士が互いに励まし合い競争し合って,共に向上することは一人ではできません

 なんていっても,何の意味もないわけです。


>学問や人徳をよりいっそう磨き上げること

 を一人では決してしていないdolceさんのような方の「教育観」が,どれだけ歪んでいるかは,

>精神的にもおかしいが(ママ)恒常的に起こる人は医者に行った方がいいし、事実、行っている人も多い

 ということを平気で書けることから容易に想像できます。

 ご本人は,ご本人が書かれている通り,「どこがおかしいかわからない」のでしょう。

 恥の上塗りを重ねているそのお姿に,同情を禁じ得ません。

 裸の王様に,決して教えてはいけないこと。

 それは何ですか?

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より