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服従への抵抗すら共感できない教師たち

 どう読んでも病んでいるようにしか思えない教育ブログがあります。

 こういう「やまい」の根深さが,教育という現場における仕事の「難しさ」を表しているようです。

 教育現場の仕事を,教師と子どもという関係でしか見えていないように思えるそのブロガーの職場は,間違くなく小学校だったのでしょう。

 生徒指導については,

 小学校学習指導要領では,

 日ごろから学級経営の充実を図り,教師と児童の信頼関係及び児童相互の好ましい人間関係を育てるとともに児童理解を深め,生徒指導の充実を図ること

 中学校,高校では,この規定に加えて,

 生徒が自主(主体)的に判断,行動し積極的に自己を生かしていくことができるよう

 と記されています。

 教師と生徒との間の溝の原因を,その教育ブロガーは「権威・服従関係」と呼んでいます。

 もしそれが「分かり合えない」原因なら,教員と管理職,教育委員会も「分かり合えない」関係になるのでしょう。

 人間不信に陥っていることが想像できる,こういう「やまい」にとりつかれた教員は,現場には少なくありません。

 犯罪行為等が絶えない教員に対して,教師教育の必要性,重要性が叫ばれている現状では,こっちの方まで手がまわらない,というのが教育委員会の本音でしょうが,

 共感ではなく「共感的」な理解すら「欺瞞だ」と呼び捨てられるような教師と子どもとの関係は,不幸以外の何ものでもありません。

 少なくとも,「権力や権威に抵抗しようとする子どもの心」くらいは,「俺も持っている。同じだな」などと思ってもらいたいのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より