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ぬるま湯人間にはわからない「切磋琢磨」する動機と機会と場所(追記あり)

 人をバカにする態度や言葉を投げかけることにかけては天才的なdolceさんに,

 「多様なものの見方・考え方」をご紹介します。

 ぬるま湯人間たちは,「切磋琢磨」という状態が起こるには,人間関係がよくないと起こらない・・・・・などという発想があるようですが,

 人間関係がよいことによる逆効果として,あえて努力に努力を重ねて「切磋琢磨」するような苦労はしない現場があることは,もう言うまでもないことです。

 「こういう指導では,本当に子どものためにならないのではないか?

 という疑問が生まれ,それを直接,相手の教師に投げかけると,一度は関係がぎくしゃくするもとになるかもしれません。

 でも,お互いが本当に子どものことを考えているのであれば,意見の相違や歩み寄りが難しく,関係がぎくしゃくしてしまっても,いずれは「本当の答え」に近いものに到達できるようになるかもしれません。

 教師と教師との関係はぎくしゃくしていても,

 しっかりとした指導ができているのであれば,

 一人一人の子どもの能力は順調に育っていきます。

 そもそも,「切磋琢磨」は,個人でもできることですし,研究会などでの他校の教員の集まりでもなし得ることです。

 dolceさんは,私が最初の記事で書いたことを,自ら証明してくれています

 読解力がなくても,明らかなこと。

 目の前の子どもにとって最善の教育を実践すること,

 そのことを主目標にするのであれば,

 職場でよい人間関係を無理してでも維持する必要はないのです。

>意としてすり替えているのなら、問題な性格であるし、切磋琢磨は良い環境の中で起こるということが理解できず、悪い環境(ギクシャクした人間関係)の中でも良い成果はあるとまじめに考えているのなら、これは、はっきり言って知能の問題である

 とdolceさんは書かれていますが,

 切磋琢磨は学校内でしかできないとまじめに考えているのなら,・・・その先は,言わないでもわかるでしょう。

 いずれにせよ,もとの文章をきちんと読まれていないのが最初のボタンのかけ違いですから,それは,ご自分でどうにかしてください。

 私の文章は,「人間関係がぎくしゃくしている方がよい学校もある」です。

*****************

 dolceさんは相も変わらず・・・もとになる記事を読もうとされていないし,新しい記事にも目を通さず,思い込みだけで,相手を「馬鹿にしたい」という気分の一心で・・・・。

 こういう老化現象は,学校現場にいる教師の場合,20代から始まってしまうので注意が必要です。 


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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