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「卒業」概念をなくすことが教育改革の決め手?

 今までの教育改革とよばれるものは,すべて

 「たいした変化ではない」ものでした。

 土曜日が完全に休日になる,と聞いたとき,喜んだ教師たちも多かったでしょうが,部活動で学校に出るので「たいした変化はなかった」。

 評価が相対評価から,絶対評価に変わっても,「順位」というのは自然にできてしまうもので,質的に評価しても,「誰が誰より優れている」という見方には「たいした変化はなかった」。

 おそろしいことに,大阪では入試の対策として,相対評価をずっと維持していた。

 「言語活動の充実」などは,ふつうの教育活動がそれにあたるだけであり,「何も新しいことはない」。

 これが,もし義務教育で

 「留年」制度を本気でとるとなると,「今までなかったこと」として,大騒ぎになる。

 さらに,もし,「卒業」という区切りがなくなったら,もうだれからも「理解不可能」な「改革」になるでしょう。

 「進級」にしろ,「卒業」にしろ,義務教育の場合は実質的に「時間がたつだけで自動的に決定する」こと。

 むしろ,「もう,あなたたちのめんどうはここではみられなくなったから,さようなら。もう来ないでね」というものだった。

 こういうのを,小中高の12年間でなくしてしまったら,どうなるのか。
 
 12年間かけて,一人前になれば,それでいい。これが,15年までは,続けられる。ただし,13年目からの3年間は,授業料を払わなければならない。

 10年間で「自主退学」して,大学に行くことも許される。

 途中の区切りは,すべてなくす。

 学習は,教科・分野別に,進めたいだけ,進める仕組みにする。

 絵の才能を伸ばしたい子どもは,1年間,絵の勉強だけしていてもいい。

 7~8年たった子どもは,1~3年目の子どもを教える義務も負う。

 ここまでのことを実現できるような国があるでしょうか。

 12年間は,無償で,さらに3年間は,「学ぶ」ための機会を与え続ける。

 ただの「案」なら,いくらでもつくれそうですが・・・・。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より