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「上から目線」が気になる人の「改革」観

 指示待ち型人間たちには,トップの言葉を待つ習性がしみついてしまっているようです。

 犬のような忠誠心は立派なのですが,

 もし子どもに教えている人間像を自分にも適用しようと考えるならば,

 人事異動によってどんな教師が来ようとも,

 どんな校長が来ようとも,

 自分たちで企画・立案して,これを自治体全体で採用してもらおうとか,校内では習慣化しようとか,そういうものをもつ気概というか「責任感」「当事者意識」というのが,教師にはほしいですね。

 トップダウンがすべてという感覚の人は,

 自分たちのトップではない人から,トップの人が言うような言葉を投げかけられると,

 「上から目線だ」と感じる習性がありますね。

 簡単に言えば,「責任を自ら背負うことをしない人たち」だということです。

 常に変革に意欲をもち,自分の行動に責任を持とうとしている人は,「上から目線だ」という反応の仕方をしないのですね。そういう反応自体,「する必要がない」ことがわかっているからです。

 「上から目線だ」と毒づく理由は,相手の口を封じるためです。

 こういうタイプの人は,自分にとって都合が悪い情報の口封じをする一方で,自分の直属の上の人間以外には,攻撃的になる

 わかりやすい話,

 政治家が悪い,官僚が悪い,と悪態をついている人の場合は,
 
 自分の住んでいる地域のため,この国のために何ができるか,自分から考えた経験があるのか,と聞いてみれば,どういうタイプの人間かわかるでしょう。

 お金がなければ何もできない,なんていうことを主張している人は,絶対にトップにならないでほしいですね。

 お金がないからこそしなければならないことを主張できる人が,たとえば学校現場には求められます。

*************

 会議で使う紙は,すべて「再利用の紙(かつては印刷後,あるいは使用後,余ったりいらなくなったりして廃棄していた紙)」を使用しています,という学校は何%くらいあるでしょうか。

 ・・・・というかそもそも,学校で年間「紙代」にいくら使っているか,すぐに言える教員は何%くらいいるでしょうか。

 「ぬるま湯」につかっていたのは,自分たちだった・・・・ということに思いが向かわない人に,だれかを非難する資格はあるのでしょうか。

 無責任な人間を作り出している背景に,あってあたりまえ,それが正しくてあたりまえ,と思っている政治のしくみがあることに気づける人間を未来に向けて増やしていかなければなりません。そういう自覚を持って取り組んでこそのしくみであることは,子どもにも気づかせることができる機会が中学校ならあります。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より