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教育実習の「成功」「失敗」は何で決まるか?

 以前書いたことかもしれませんが,

 教育実習は,何をもって「成功した」と言えるのでしょうか。

 指導案をしっかりつくれて,授業をうまく行えたこと?

 学級で多くの子どもと話をして,相談にも乗ってあげたこと?

 業務日誌をしっかりつけて,一日一日の反省がしっかりできたこと?

 今年は,いつもの大学のほか,一橋,早稲田,上智などの学生が教育実習にやってきましたが,大学ごとに,「教育実習の手帳」「教育実習の記録」「教育実習のマニュアル」が異なっています。

 大学の先生から,これこれこういうふうに,指導をしてください,と言われたことはありません。

 でも,何か一つくらい,「ここだけは」という要望を出してもらった方が,

 「鍛えがい」があるかもしれませんね。

 私の教科がこだわっているのは,

 教材研究

 ほとんど,それに尽きます。

 授業の仕方がどうとかは,あまり重視しません。

 たくさん教えますけど。

 でも,考えさせたいところは,教えません。


 どの教材で,何を教えたいのか

 どんな力をつけさせたいのか


 いい教材が見つかった学生には,

 「指導案はどうでもいい」

 と「指導」する場合もあります。

 いい教材は,子どもがどういう反応をしてくるかわからないのと,

 最もいい「発問」は,教師がしなくても

 子どもが「つぶやく」場合があるからです。

 それが,授業の中心課題になることもある。

 以前にふれた,「関東地方の人々(武士)にとって,戦国時代っていつごろのこと?

 なんていう問いがまさにそれです。


 関東地方における戦乱をまとめた年表を見てみる。

 ある地方でつくられた「板碑」の数の,年代ごとの推移を見てみる。

 鎌倉幕府滅亡後の,「中央」と「関東」の関係を考えてみる。


 授業で生徒が課題を追究していく。

 その動機を生徒に与えるのは,教師ではなく,教師が選んだ,教材です。


 教材研究の大切さを知った学生は,

 社会科なら,残る大学生活の時間を「旅」に費やす人もでてくるかもしれませんし,

 「図書館にこもる」人もいるかもしれません。

 それも,さまざまな地方の県立図書館等です。


 教育実習は,何をもって「成功」と言えるか。

 私の答えは,

 「教育実習を終えた今,何をしているか?」で,決まる。

 というものです。

 
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コメント

教材会社の方からお聞きした話ですが,塾向けの教材は売れ行き好調だそうです。
学校向けにもてこ入れを考えている・・・・ただ私としては,あのテキストのような授業を学校でやられるのはたまったものではないと・・・・。
確かに入試問題は解けるようになるかもしれませんけれど・・・・。
以前に学校が荒れに荒れたときは,「詰め込み教育」が「悪玉」扱いになりましたが,もし今後,荒れが生じなかったとしたら,「詰め込み教育」以外の原因をふりかえって追究しなければなりませんね・・・・。

研修に効果が無い理由が挙げられています。
http://money.jp.msn.com/news/bizmakoto/%e7%a0%94%e4%bf%ae%e3%81%ab%e5%8a%b9%e6%9e%9c%e3%81%8c%e3%81%aa%e3%81%843%e3%81%a4%e3%81%ae%e7%90%86%e7%94%b1

研修させる側もやったことにするならもっと効果が無いでしょう。

親の収入と子供の学力が非常に強く比例関係にあると言うニュースがありました。
http://diamond.jp/articles/-/17857
要するに、塾に行けなければ学力が習得できないということになり、公的教育がいかにメチャクチャなのかということになりそうです。

橋下徹氏が公的教育にてこ入れしたい理由がここにあると思います。
塾に行けない子は就職もまともに出来ないと言う実態を産みだしているのです。
企業が外国人を好んだ採用する時代になりました、日本人の学力が後進国に負けているからです。

運良く就職できても非正規雇用で年俸で200万以下ということがほとんどです。
企業はもし日本人がインド人より仕事が出来るなら日本人を採用したいでしょうが、圧倒的な差があるので無理です。

初等教育でつまずいた子の将来はどうなるのでしょうか。
年金がどうしたこうしたと年寄り優遇政策している政府はもはや破壊活動を行っているとしか思えません。民主党議員の多くが帰化人であること、外国人参政権などというキチガイじみたことを言っているわけで、中央官庁の言うことは全く信用できません。

寺脇研のやったこと、日本の破壊です、そして彼は朝鮮人学校の理事。
日教組も寺脇研と同じ事をしようとしています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より