十字架の「架け替え」は許されない
タイトルから,「ご想像におまかせします」なんて書いたら叱られてしまうかもしれませんね。
「橋下さん,あなたもですか」というタイトルにしようとも思ったのですが,テーマは教育にしぼっておきます。
人はだれでも「背に重い荷を負って」生きています。
小中学生でも,大人から見れば「あまりにも重い」荷を背負わされていることがわかる子どもがいますが,本人はまだ,その「重さ」に気づくことはできない。
逆に,大人から見れば「軽い」荷が,子どもにはとてつもなく「重く」感じられることもある。
たった一言でも,その「重み」は「話す側」と「聞く側」とでは,全く異なることがある・・・・・そういう自覚もなしに,「教育」のブログを書く資格はないだろう,と,カルロスさんは,おっしゃっているようです。
教育とは,新しい十字架を子どもに与え続ける営みと言えるのかもしれません。
だからこそ,教師は自分が背負ってきた十字架だけでなく,営みの中で生まれた十字架を背負う覚悟が必要なのです。
自分の十字架をひけらかすのもおかしなことだし,自分が背負っていかなければならない十字架を勝手に下ろすのも,やってはいけないことです。
しかし,個人ではなく,「行政」などに目を向けると,
人が変われば,「廃棄された十字架」が積み重ねられていく。
これを拾う覚悟がある人が,新しい時代のリーダーなのか。
あるいは,十字架を次々に抹消していくのが,よいリーダーなのか。
現場から「足抜け」した「評論家」のように,無責任でいられない教師たちにとって,次の時代のリーダー像は欠かせないものだと思われます。
私としては,前者のリーダーを育てるべく,日々を過ごしております。
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