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教育界で最も怪しい言葉は,「学び合い」

 「学び合い」を登録商標?にしている人がいるようなので,直接的にその人を批判するものではないことを,あらかじめお断りしておきます。

 だれも勉強の「おいてきぼり」にはしない,クラスの全員が,生き生きとして学習にのぞむ・・・・そういう「教師の心構え」は大切なことです。

 でも,その手段として,「学び合い」の形態を安易にとるのは,逆効果になる場合があることを知っておくべきでしょう。

 ごくごく当たり前のこととして,

 「自分の考えをしっかりともつ」時間がなく,いきなり「話し合い」に入るのはよくない,

 なんてことはだれでもわかることですが,

 では「自分の考えをもてない」子どもがいた場合に,

 「他の生徒の考えを聞く」ことは,その子どもにとってどのくらいプラスになることなのでしょう。

 中学校の場合,私の感覚では,

 自分の考えをもてない子どもが,他の生徒の考えを「聞く」ことはできても,「理解する」ことにいたるまでには,相当のステップを踏んでいかなければならないと思われます。

 本当は,教師がこの「ステップ」を超える方法を指導していくのが,「授業」であるはずで,私が読んだことがある「学び合い」の指導案は,こういう指導を完全に放棄しているものとしか見えませんでした。

 教材研究をする必要のない,あるいは,した形跡のない指導案を見たときは,教師として本当に情けなく思います

 子どもは,・・・・素直でいい子どもほど,

 「学び合い」「話し合い」をした結果,「よくわかりました」という感想を言いやすいでしょう。

 しかし,「よくわかったかどうかがわかる質問」をその場で教師は投げかける作業をしているでしょうか

 そういう「問い」をもっているのでしょうか。

 「よくわかりました」と聞いて安心してしまう教師,それで「よしとする」教師はいないでしょうか。

 「学び合い」は,「教師の責任を最も巧妙な形で回避する」方法として使われてはいないでしょうか。

 多くの教師が安易に飛びつく「教育方法」ほど,教師の力量が高まらないものはない,というのが私の考えです。 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より