なぜ視野が広い教師が求められるか ~dolceさんへのアドバイス~
dolceさんは,まだ一般社会ではご活躍の場をおもちだそうなので,いつものご愛顧に感謝して,
「視野を広くもつこと」の大切さをご紹介させていただきます。
「上から目線」と感じてしまうか,「謙虚に受け止められる」かは,dolceさん次第です。
まず,文章をよく読んで,「曲解」したり「捏造」したりしてはならないことは,ご自身が他者によく指摘していますからおわかりだと思いますが,
たとえば,「理屈にならない屁理屈」としか想像できない,いえ,他のことを想像しようとしない態度・・・・相手が間違っているのだ,と断定する態度を改められることが大切です。
>恐らく、理屈にもならない屁理屈があるんでしょう。
>それは、これまでの経緯から予想することです。
>「マイナス効果」なんて言葉も使っていますが、効果という言葉はマイナスには使いません。
>これも、予想通り訂正されませんでした。
>もし、本当に子どもを伸ばしたい、いい教育をしたいと思っていたら「間違いを訂正しない先生」はダメだと思います。
>それは、私自身強く経験しています。
>合唱、吹奏楽、オーケストラなど指揮をしている時、指揮を間違えた時「今のは間違えました」と言わないと、子どもからの信頼がなくなります。
>子どもは何も言いませんが、指揮を見なくなります。
「効果という言葉はマイナスには使いません」
とありますが,
マイナスになることがプラスである,
そういう現象も社会にはあるんですね。
たとえば,税金。
たとえば,教師による犯罪件数。
たとえば,生徒の問題行動の件数も。
一方,『皮肉にもそうなってしまった』という意味で,マイナスの価値を招く場合も,「マイナス効果」が使われるのは,一般的なことです。
「成長」はいい方に育つことである。だから,「マイナス成長」という言葉は間違っている,なんて言われても,困るんですよ。
日本語には,一見,正しくないような言葉の組み合わせでも,そこに「皮肉」「意外性」「期待外れ」「悪影響」などの意味をこめて使用することが可能になるのです。
日本語を母語として使ってきた日本人なら理解できるはずのことです。
あと,またご自身の経験をご披露されていますが,
>指揮を間違えた時「今のは間違えました」と言わないと、子どもからの信頼がなくなります
とありますが,もともと子どもからの信頼がない教師の場合は,「今,間違えました」なんてことをいちいち言うと,もともと信頼などしようとしていない子どもに対しては,「マイナス効果」=「逆効果」=「皮肉な結果」=「期待と逆の結果」になるかもしれない,と想像できる教師にならないといけません。
私もそういう「謙虚」な教師の実態をたくさん見てきましたから。
すぐ子どもに謝る教師たち。態度としてはもちろん「正しい」のですが,
「教師も間違えることがあるのは当たり前」と共通認識のある人間関係の場合は,
「表情」だけですべてを伝えることが可能です。
むしろそういう伝え方ができる教師に成長する方がいいでしょうね。
でも,本当に子どもに信頼されていない教師の場合は,まだ自分の間違いを認めず,好き勝手やってもらった方が,子どものやる気をそがないで,子どもが伸びるという「場合もある」ことを想像してみてください。
反面教師というものですね。
「手本」というのは,「よいもの」でなければいけないもののようなのですが,
「悪い手本」があるから,「ああはなりたくない」という「正しい判断」をもたせることができるようになるのです。
私が
>教師の人間関係がどこかぎくしゃくしている方が,子どもがぐんぐん伸びていく,そういう学校もあることを知っておいて下さい。
と書いたことの意味が少しご理解いただけたでしょうか。
学校の教師は,今の時代は「容易に超えられる存在」になっているわけですから,子どもに直接的な迷惑をかける教師でなければ,「ダメな人」にも「超えられていく」という存在価値があるのです。
どんな教師でも,こうしないとこうだ,と決めつけてはいけないのです。
特に指導経験の浅い人にとっては。
書かれていることのレベルが低いことを指摘されて,立腹されるところまでは「共感」いたしますが,そこで反論を加えてますます墓穴を掘ってしまうという行動パターンが,もし現場の教師だったら,「信頼されなくなる」原因になるのです。
こういう教師たちが「良い人間関係でいられる」学校がどんなところか,一般の方は,ぜひ想像なさってみてください。
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