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新作!dolceさんの「私語撃退法」と「事実誤認」

 またまた,大事な指導事例をご披露していただきました。

 子どもの「心」との乖離が分かっていない,dolceさんの指導法。
 
 dolceさんは,人間を「ロボット扱い」するのが好きな方のようです。

>ロボットは知能を授けられ、どんどん進化して人間に近づくのに、人間の方は逆にただの機械のようになっていないか

 という問いかけの後に,紹介されている「指導言」がすごい。

>中学校で授業をしていた時、私語の多い生徒がいたので注意しました。
>すると、その生徒は、小さな声で「喋って悪いのか」とボソッと言いました。

>彼は聞こえないように言ったつもりかも知れませんが、私には聞こえました。
>それで、私は

>「君、そりゃあ、喋るなという命令はできないよ。しかしね、人間は知能というものを持っているから、この場では喋っていいのか悪いのか判断できるんだよ。それが人間なんだ」

>と言いました。

>その生徒は、不機嫌な顔をしながらも静かになりました。
>他の生徒たちも納得したような様子でした。

 生徒たちが「納得」したのは,dolceさんが「ひどいことを言う人」だからではないのですか???

 何しろ,

 授業中の「私語」が「知能の欠陥」によるものであると指摘されてしまったわけですからね。

 もしこの後,再び私語をしたら

 「知能を持っていない,つまり,この場で喋っていいのか悪いのか判断できない」生き物だと呼ばれ,

 下手をしたら「人間ではない」などと呼ばれかねないことを子どもたちは知ってしまったのですね。

 子どもは,「頭のおかしい人が通う病院」という言葉を平気で使えるような人間かどうか,簡単に察知できてしまうのですよ。

 私語が多くなるような授業をしている教師に,「おまえは知能に問題がある」なんていう注意をされたくないから,「私語を我慢した」だけで,何の問題の解決にもなっていないことに,気づけない教師はいるでしょうか?

 そうそう,そういう教師がいるから,このブログを書いて注意を喚起しているのでした。

 dolceさんには残念ながら,指導に必要な感性が欠けているのですね。

 私から見れば,自分のまずい授業を棚上げして,「こういう注意の仕方はないだろう」と受け止める生徒を想像することができないのは,重要なものが「足りない」からとしか考えられません。

 「うそ」はいけないのですが,「これが正しい注意だ」と誤解して,

 私語をする生徒に対して「知能に課題がある」と指摘したように聞こえる指導ができてしまうような教師は,いさめなければなりません。

 音楽の教師のやり方がこうだというなら,音楽の教師を相手に話をしなければなりません。

 実は今まで,dolceさんによる中学校での授業実践の話は読んだことがありませんでした。

 最初の話が,「私語が多い生徒への指導法」だったのですね。

 そして,「やっぱりね」というのが第一印象でした。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「歴史の活力」より
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  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より