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自分の「問題」を直視できない人の「逃げ方」

 ネガティブな記事がしばらく見られなかったと思っていたら,久方ぶりに登場しましたね。

 あれだけ丁寧な「添削」をされていたのに,私からの「疑問符」を完全に無視されていた理由が,本日公開された記事で明らかにされています。

 「言われた人は,やる気をなくすだろう

 ・・・・・そうですね。

 特に自分自身の実態を省みず,児童生徒からの生の声,他の教職員からの苦情,これらにいっさい耳を傾けない指導力不足の教員には,

 できれば現場で教師を続ける気をなくしてもらって,自分から「教師を辞める」と言ってもらいたい。

 もしそれを決意させることができる「決めぜりふ」があるとしたら,全国の教育委員会はのどから手が出るほどほしがるでしょう。

 ・・・・・でも,「辞めたら収入がなくなるから,辞めるとは言えない」・・・・・こういう人に,次の職場をきちんと用意するのが,自治体のつとめなのです。しかし,それができないから,ほとんど効果のない研修に時間と労力とお金を費やさなければならない・・・・。

 教育現場には,こんな指導力不足教員が引き起こす問題以外にも,「重箱のすみをつつく」ように問題点を見つけようとしたら,本当に数限りない「あら」が探し出せます。

 しかし,自分が指摘された「問題点」が,「あら探し」の内容に該当するかどうかは,だれが決めるのでしょう。

 指導力のない人は,問題点の指摘をする教員や管理職を,「あら探し」をしている人間とレッテル付けして,「いかに自分は悪くないか」をPRしようとします

 裁判に負けたある教諭は,その内容をわざわざ本にして出版しています。

 こういう人間が教育現場にいることで,「良心的な教師」がどれだけ困っているか,容易に想像することができるでしょうね。

 子どものために,教師の「問題」を本人に指摘することが「良心的」か,

 教師のために,その「問題」を指摘しないことが「良心的」か。

 ほとんどの学校では,後者の選択肢をとっているために,

 「どうしてこんなことを記事で書くんだろう」と本気で思ってしまう人が少なくないのでしょう。

>いや、もしかしたら、自分以外の人間はみんなうまくいってほしくないというのが本音かも知れない。

>職場にこういう毒ガスおじさんのような人がいたら、環境整備として、一刻も早く追い出す作戦を考えよう。

 もし自分の問題を指摘されて,このような「曲解」をする教員がいたら,どうしますか。

 ・・・・どうにもできないで,「異動を待つ」ことしかないのが,普通の学校なのでしょうね。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より