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「ウソ」と「無知」「誤認」「過失」を混同しているdolceさんへ

 ようやく,dolceさんに誤りを認めてもらうチャンスが訪れました。

 dolceさんは,ここのところ連発している「スピーカー」の話で,

 「」と「無知」を混同されてしまっていますね。

 こういう方が,まじめな教師に,

 「子どもにウソを教えないこと

 なんて忠告したら,そういう教師は

 教室で子どもに「何も言えなくなってしまう」状況に陥りますよ。

 最新の学説を知り尽くして授業をしているわけではない教師たちにとっては,自分がしゃべっていることが「常に正しい」とは言い切れないわけですから。

 「ウソ」というのは,

 事実に反することを故意に(わざと)表明すること

 ではないですか?

 dolceさんが使用している「ウソ」の用法は,

 「私が昨日,教科書で説明したことは,ウソだった」と同じような「誤用」ではないですか?

>昔蓄えた、古い知識だけで、以後はふと湧いてくる自説が何でも法律、基準のように錯覚すると、子どもにウソを教えかねません。

 「錯覚していたこと」は,「事実に反すること」ではあっても,

 それが「事実に反することを知っていて,それを故意に伝えた」というものではないことは明らかですね。

 もしdolceさんが,

 「権威になりたい人」でなければ,

 こういう「誤り」を指摘されても,「プライドを傷つけられた」とは思わないですよね。

 ウィキペディアに掲載されている

 「嘘」の解説は,

 なかなか「奥行」があってよいですよ。

 これをお読みいただければ,

 頭が固まっていない人は,

 「子どもにウソを教えないこと

 なんて忠告を聞いたら,思わず笑みをこぼしてしまうでしょうね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より