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教師による区別を子どもは差別と受け止める場合がある

 学校によっては,学校評価の一環として,児童・生徒へのアンケートを実施し,「投票箱」に入れるような形式をとって,だれによって書かれたかを特定できないような配慮をして,

 「えこひいき」されている人がいると感じることはあるか

 などという,けっこう際どい質問に答えさせるところがあります。

 児童・生徒へのアンケートを実施していること,そして,こういう質問項目があるということは,

 自校の教育活動への自信の表れ
 
 と読み取ることが可能です。

 どんなわずかな「すき」もつくらない,そういう姿勢の表れでもあるのです。

 もし,一人でも,「心配な教師」がいる場合は,特に小学校では,

 「えこひいき」されている人がいると感じることはあるか

 なんて質問は出しにくいでしょう。

 そのクラスの数値だけ目立つことになり,担任教師の立場が心配だ,なんていう「仲良し集団」は嫌がるでしょうね。

 「えこひいき」をしている自覚がある本人が反対することもあるでしょうし,心配性な人は,そんな質問はやめてくれ,と懇願してくるかもしれません。

 しかし,自覚をもって教育活動が行える人は,むしろそういう質問を通して,

 「気づかないうちに行っている差別」の存在を確かめようとします。

 教師が行っている「区別」でも,子どもから見れば,「差別」と受け止められている可能性があることを自覚しておくべきです。

 会社に入って,上司が,「●●大学出身の新入社員は,仕事が早いな。●●大学出身者だけ,しばらく休みをとっていていいぞ」なんて言うことはあり得ませんね。

 そういう「くくり方」は,もし仮に現実として「実力の格差」があったとしても,行わないのが「教育的」です。

 教師に限らず,「出身」によって人を「区別」して扱うことをすべきかどうか,よくよく考えて行うべきでしょう。

 「お国自慢」は「差異」を知り合うのが目的だから,こういう場合はいいのですが,「差異を認め合う」ことが目的ではない場合は,「出身」による「区別」は「差別」に結びつくおそれがあることを知っておくべきです。

 教職を目指す人たちの中には,「人権問題」に関する基本的な知識を学ぶ機会が少ないか全くなかった人もいるかもしれません。現実として,どういう差別の問題があるのか,それを知っておくべきです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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