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頭が固まっている人の哀しい特徴

 大人の「固まった頭」をほぐすことが相当難しいことを,dolceさんが自ら示してくれています。

 なぜdolceさんは,

「頭が固まってしまった人」にはなりたくない

 とは書かないで,

>「頭が固まってしまった人」と言われたくない

 と書いてしまったのでしょうか。

 それは,

>他人がそう感じるような人間にはなりたくない

 からだそうですが,そうするためには,「頭が固まった人」であることを書くことが「逆効果」になることが,どうしてお分かりにならないのでしょう。
 
 dolceさんの矛盾は,中学生に読ませてもわかりますよ。

>誤解のないように断っておきたいのは、他人からそう言われること自体を気にするのではなく、他人がそう感じるような人間になりたくないということです。
>つまり、自分の評判を気にして生きていくということではないということです。

 他人から言われること自体を気にするのでないならば,

 私は「頭が固まってしまった人」にはなりたくない。

 他人が,私のことを「頭が固まった人」と言おうと言わなくても,関係ない。

 となるのが,「ふつう」では?


 「誤解のないように断る」内容が,誤解ではなく,本当のことを理解する助けになっている

 今まで何度となく繰り返されてきたことです。


 反論不可能な記事が続くと,教育の話とは全く関係のない話になる。

 今回は「花」でした。

 しかも,その記事が登場する理由は,ご自身が書かれているわけです。

>花やその他の作物などを育てたり、動物のめんどうをみて育てる人は、心の優しい人のような気がします。

 自分が育てている花の説明をするときに,こういうことを書く人が,

 「人からこういう人間だと思われたい」

 という欲求が,「羞恥心」を打ち消すほどに強いんだな,ということが痛いほどよくわかるのです。

 だから,その直後に,

>自分の評判を気にして生きていくということではない

 なんて書かれても,「え~」という反応になってしまう。

 こういう先生が,昔は本当にたくさんいました。

 言っていることと,本当の姿に子どもでも気づくほどのギャップがある。

 どうして,先生は,恥ずかしくないのだろう?

 ・・・・話をもとに戻しましょう。

*****************

 さて,頭が固まっている人の特徴は,
 
 たとえば,「誤解のメカニズムを理解しようとしない」ことにあります。

 繰り返しdolceさんが例に出しているものが,非常にわかりやすい。

>「25Wのスピーカーと80W」のスピーカーでは、そもそも「どちらの音が大きい」という発想がおかしい

 というのは,最大出力と音量の関係をよく知っている人の考え方です。

 そうでない人(ふつうの人)は,どのように発想するかというと,

 25Wのスピーカーと80Wのスピーカーのうち,大きい音が出せるのは,80Wのスピーカーだ。

 となるのです。

 こういう発想が「おかしい」と決めつけるだけでなく,dolceさんは,

>「25gと80g」ではどちらの音が大きいですか?という問

 と同じだと言う。

 ふつうの人が聞いたら,怒りますよ。

 これはアナロジーではなく,論理の飛躍です。

 こういう人間こそが,dolceさん自身が書いている「頑固な人」なのです。

>頭が固まってしまったというのは、頑固というイメージも抱かせます。
>よい意味で使われる場合は、職人が妥協を許さないでいい仕事をするような場合ですが、悪い意味で使われる場合は、間違いを修正しないとか、他人の言うことを聞き入れないなどの場合です。

 良心を抱いて読めば,dolceさんは自分のことを職人だと言っているにすぎない,それが言いすぎなら,スピーカーについて,私は詳しいですよ,と言っているにすぎないわけです。 

>「マイナス効果」というのも変です。
>「効果」というのは良い結果にしか使わないからです。

 辞書の上の意味だけが「正しい」として,「良い結果にしか使わない」というのも,

 「頑固さ」の象徴です。

 世の中のものごとで,そもそも,「良い結果しかない」ものが本当にあるのだろうか?

 という「思考」がはたらかないと,

 見えるものも見えなくなり,

 見たいものだけを見るようになり,
 
 見たくないものを見なくなるようになります。

 dolceさんが相手のことを「頭がおかしい」などと罵倒したりするのは,

 「マイナス効果」を狙っているわけです。

 相手に「マイナスの感情を引き起こさせる」ことが「望ましい結果」なのでしょうからね。

 このように,「マイナス効果」という用法自体にこめられた「意味」に対する思考をはたらかせず,辞書の意味だけを頼りにして「正しい」「正しくない」と判断する人間が,「頭の固まってしまった人」なのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より