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カルロスさんに「内申書」の意味をお示しします

 *一部,加筆いたしました(4日,0時35分)

 小学校の先生はご存じないかもしれませんが,

 中学校の教師が高校入試のためにつくる資料=調査書,通称,内申書は,

 中学校の教師が恣意的に内容を操作することはできません

 小学校の教師がつくるもののように,子どもの評価情報をほとんど一人の教師が独占しており,評定が本物かどうか,確かなものであるかどうか,公印が押されていてもあやしいものを入試得点に入れるのは公立の中高一貫校くらいなもので,私立中学校はほとんど参考にすることがないのは,ご存知かと思います。

 つまり,小学校の評定は,中学入試に使われて点数化されることは,まずないと考えてよいでしょう。

 これが中学校の評定となると,全く異なります。

 中学校の場合,高校入試のための調査書(内申書)に書かれているもので,入試の合否判定のための材料の中心は,

 各教科の評定です。

 これが大部分。

 ですから,一人の教師がつけられるのは,教科担任としての評定で,9教科中の1教科のみ

 観点別学習状況の評価も各教科担任がつけます。

 実際の評定と提出された評定が一致しているかどうか,

 「成績一覧表」を提出させて教育委員会でチェックします。

 総合的な学習の時間の内容や,部活動の大会での成績,英検などの資格,学級委員などの役名も記入されます。

 高校によっては,出席数も重視します。

 私立高校の場合は独自の調査書があって,遅刻や早退の回数まで細かく記入しなければならない学校もあります。

 今は目標準拠評価ですから,どのような評定がどうやって出されたか,すべての教師がすべての生徒の評定について,きちんとした説明ができなければなりません(これは本当は,小学校も同じはず。2と3はどう違うかが説明できなければいけないのです)。

>ひいきのことがとかく問題となるのは、内申書を書く立場にある中学や高校の教師である

 というのは,いつの時代の話でしょう。

 「内申書を書く立場」の中学や高校の教師は,ほとんど事務的な仕事として,こなすだけです。

 評定の内容を見ながら,志望校までの距離がどうとか話すときには,担任は「心に寄りそう」こともあるでしょうが・・・・。

 地方は今でも,「ひいき」が問題になるのでしょうか。

 「対応の不平等」が明らかになると,今の親はだまっていないのでは?

 親から説明を求められる,という文化がない地域では,いくらでも仕事の手は抜けそうですが・・・。

 そういう親の態度はまずいですよ,ということも,このブログでは訴えかけています。

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  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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