「学べる」人が「教える」人としてふさわしい
教育実習生たちは,準備してきたことを一生懸命に「教えて」くれようとします。
その姿勢はすばらしい。
しかし,授業をビデオに撮ってみてみると,子どもが「学んでいる」ように見えない。
「教えている」つもりの教師と,「学んでいない」子ども。
何も,教育実習生に限った話ではないでしょう。
単純に,「機械のように」できることを目指す人たちにとっては,
「子どもが自ら学び,自ら考える」ことの意義は二の次になるわけですが,
もし,自分自身が本当に「学んで」きたのだとしたら,
「どういうところに疑問を感じ,どういうところにこだわりをもって考えてきたのか」
という履歴を紹介してほしいですね。
正しい方法でただ練習すれば上達でき,それで満足しているような人たちと,「学び続ける」人たちには,決定的な違いがあります。
それは,人間を「故障した機械」扱いしてしまえるか,そうすべきではないと考えるかの違いです。
「故障した機械のような人間は排除される」とまで書いた人の発想は,「機械」としての発想であり,
「人間」を教え,育てる「人間」のものではありません。
「学べる」人が,「教える」人としてはふさわしい,私はそう考えます。
100%できる人間が,子どもを教えても子どもが同じようにできるとは限りません。
50%しかできない人間は,そういう人間だからこそ,何かでカバーするための工夫をするわけです。
そういう人間を子どもたちが超えていくこと,これが「教える」ことの醍醐味なのです。
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良くある話ですが、外国人の英語講師より、日本人で苦労してTOIEC,TOFELでハイスコアを獲得した人の方が良いという事実があります。
日本人としての、発音の仕方の苦しみや、インチキ文法で悩まされたとかそういう悩みを共有できるからだと思います。
授業で、教科書の朗読をして、練習問題は単純に答えを黒板に書くだけという授業をやっている人いますね。どこで解らなくなってるかとかそういうことに完全に無関心、そう言う授業では、学力はつきません。塾に頼るしか無くなるのです。何でそういう授業になるのか、授業内容をなめてかかっているからでしょう。そういう先生にちょいとばかり難しい質問をすると逆ギレしてしまいます。こどもはそれが怖くて質問すら出来なくなります。
授業は、理解していく上でまずなにを注目してどこが解らないのかどこが新しく学んだことなのか明確に示すこと、勘違いしやすい事柄を網羅的にその違いを示すことから始まります。上記のような先生にはその能力がありません。自ら学ばないからです。
投稿: 匿名 | 2012/05/20 13:03