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部員の忠誠心を高めるために「休む権利」を与えるすばらしい?顧問

 dolceさんの興味深い指導理念を拝読させていただきました。

>だから、経営のポイントは、いかに忠誠心を高めるかということだと、私は思うのです。
>私は会社経営をしたことがないので、会社において経営の実践をしたことがありません。
>でも、部活動でこういう考えを少しでも取り入れて運営をしてみました。

 
 誤っていたら,おそらくdolceさんが添削してくださるので,

 私は私の解釈を記してみます。

 部活動の顧問として,「経営」していくためのポイントは,

 部員の「忠誠心」をいかに高めるか,である。

 会社経営で忠誠心を高めるための実践をしたことはないが,部活動でやってみようと思った。

>1.月一回は、生徒たち自身の手でリクレーションをすることができる

>2.行事に差し支えない限り、ある回数は自由に休みが取れる

>3.決められた休みの権利の他に、休みたいと思った時は、申し出て、部員の半数以上が承認してくれたら休むことができる

 など、生徒自身の権利を拡大しました。

 結果は、練習に熱心に取り組むようになり、練習の密度、能率が高まりました。

 私がこの「忠誠心向上プロジェクト」から感じる最初の印象は,

 「それ以前はろくな指導をしていなかった(されていなかった)のだな

 ということです。

 「遊ぶ機会を与えたり,休む機会を増やせば,やる気になる

 というのは,まさに,小学校の教師の発想そのものですね。

 小学校の4年生くらいまでは,これが通用するのでしょう(荒れた中学校なら,3年生まで通用します)が,これで「やる気」がでる,というのは,よっぽどのことです。

 「遊ぶ機会」や「休みの回数」を増やさないと,やる気にならないというのは,

 部活動に生徒が熱心に打ち込んでいる学校では,あり得ないことです。

 むしろ,熱心に活動したい生徒にとっては,「とんだ迷惑」です。

 こういう「ルール」が,「守らなくてよいルール」なのです。

 一定の回数まで自由に休める上に,さらにそれ以上の休みをわざわざ「部員全員」を集めて「投票」を行い,「過半数」がとれたことを確認する,なんて面倒くさいことをするような部活動が,「やる気を高める」工夫だというのは聞いたことがありません。


 部活動の練習は自由に休めるのに,それ以上の休みを求める部員の休みを認める・認めないを決定するための会議?には,全員が召集される,というしくみは,おかしいとしか言いようがありません。

 引用した部分の話の脈絡からすると,

 「休みをくれる管理職がすばらしい」「そういう管理職のもとではやる気がでる」

 「体調が悪いときに快く休みをくれない管理職はとんでもない管理職だ」

 ということを言いたいために,

 「自分はすばらしい管理職」と同じような「忠誠心を高める」指導が実践でき,

 そのおかげで

>練習に熱心に取り組むようになり、練習の密度、能率が高まりました

 と自慢したい,ただそれだけの話だと思われるのですが・・・・・

 なぜ,それまで,練習に熱心に取り組めなかったのか,その理由を考えてほしかったところです。

 ちなみに,こういう発想で教育をする人の実践によって,崩壊していった学級・学校の具体的な例は,多くの公立学校の教師はご存じのことでしょう。

 「超」短期的には成功したように見えても,「中長期的」には,「権利の要求」がエスカレートしてきて,どうにもならなくなる・・・・・国の政治にも同じようなことが言えるかもしれません。

 余計なことですが,仕事の能率を高めるために,20分程度の「昼寝」を許可している会社があるそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より