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「心のふるさと」としての小学校

 だれの言葉だったでしょうか。

 小学校のころは,情緒ができあがる時代。

 中学校から,高校にかけては,知性とかができあがっていく時代と。

 情緒,心の成長を支える小学校の教師の役割は,その面で,特に大きなものに。

 情緒の安定を最大限に重視しようとすれば,各教師のふるまいの仕方もおのずと決まってくることでしょう。

 もちろん,中学校や高校では情緒の面を軽視してよい,というわけではありませんが,情緒面から見るとハテナでも,知性や運動技能,指導技術の面から尊敬される先生がたくさんいる。

 なぜあんな鬼のような人間を,みんなが慕っているのか・・・・外部から向けられる目というのは,一種,羨望のようなものですね。

 ・・・・岡潔の言葉でした。

>なかでも,中学校時代には知性とか意志とかについて,夜がまさに明けようとしてなかなか明けきらない長い朝ぼらけのような時期です。(『風蘭』)

 教師として,この微妙で「はっきりとは見えない」はずの変化の瞬間に出会えることが,授業をしていて,生活指導をしていての最高の醍醐味でしょう。

 人間は,ほめられると態度が一変するものです。子どもに限らず,大人も。

 情緒面から見れば,人間というのは本当に単純なものです。

 でも,相手の中から本当の力を引き出すためには,直接的な言葉は適しません・・・・・というか,素手でつかみあげるようなことは,したくはない。

 間接的な言葉。手は出さない。

 人がいて,できるようになって,喜ぶのも,いいでしょう。

 でも,知性や意志は,人がいなかったとしても,自分の力でできた,できるはずだ,と思える喜びを味わうことで,より強く成長するものと信じています。

 情緒,心が簡単に乱される人がいます。

 通じ合わないことの違和感に勝てない人がいます。

 小学校時代を思い出しましょう。

 そこに,情緒の安定を支える「小さな社会」があったのですね。

 学校生活の出発点に戻って,先を見れば,何が見えてくるでしょう。

 「変われる自分」への自信を取り戻せる場が,小学校でしょうか。
 
 中学生は今,「自主・自律」の意味を,真剣に考えています。

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コメント

コメントありがとうございます。

小学校の教師が王国内でどんな「しうち」をしているか。

ときどき情報が入ってくるのですが,「このことは,学校内の他の教師は知っているのか?」と疑問になることも多いです。

キレるのは勝手ですが,「モンスターズインク」という映画で,普段やさしい主人公が仕事で怒る場面を見てしまってショックを受ける幼児の姿が,脳裏から離れることがありません。

良く話題になるモンスターペアレントのこと
http://www.youtube.com/watch?v=DEsLSy1x3aI&feature=related
このリンクにモンスターティーチャーのことも併せて取り上げられています。

見れば解りますが、保護者より教師の問題の方が大きいのではないかと思えるのです。

かんしゃく持ちの教師というのがかなり多く見受けられ、私自身が子供時代そういうかんしゃく持ちの先生に悩まされた経験があります。

小学校においては、大人と子供、力の差は圧倒的で、かんしゃくをぶつけられると、子供は一方的にその被害を受けるだけの存在になります。

大人としての理性を欠いたかんしゃく、なぜ小学校でその問題を取り上げないのか、カウンセラーにカウンセリングを依頼すべき教師が多いと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より