人権感覚がよみがえるかどうかが第二関門
前の記事の一部の再掲です。
「自分が書いたことに異議を唱えられた」から,「反論する」・・・しかも,相手の「頭がおかしい」[2]という言い方で,かつ,それが「良くない言葉であることを自覚しながら使ってしまう」,というパターンを繰り返している人のことをさしている,ということになります。[3]
という私の言葉に対して,
あいかわらず,
>頭のおかしい人がいるから、その人を治療するための病院があるのです。
>胃のおかしい人がいるから、胃を治療する胃腸科があるのと同じです。
>[3]ここで「ということになります」といえるのは、絶対的な真理でなくてはなりません。
>それは、一般的に承認されていることがらでなくてはなりません。
という反論のされ方になる。
いいですか。
胃のおかしい人が,胃腸科に通う,これはいいです。
しかし,「頭のおかしい人が治療を受けるための病院」とは,どのような病院のことですか???
その病院に通う人を,dolceさんは「頭のおかしい人」と呼ぶのですね!
dolceさんには二重の問題を指摘しなければなりません。
「二重の問題」が何かは,おそらく私の文章をお読みの方はほとんどわかる・・・「一般的な承認」が受けられることと思われます。
絶対的な真理かどうかはわかりませんが。
まだ突破できていない「第二関門」は,「よくない言葉」と知りながら,その言葉を「よくない使い方」だと自覚できないでいるdolceさんに,「どこがよくないのか」を自覚してもらうことですね。
そうでないと,もう「見捨てている」かもしれませんが,しょうさんなどが「もうやめた方がいい」とまた「助言」をしに訪れるようになるかもしれません。それはもちろん,dolceさんのためを思って。
***********
>これは、国語力のなさから来るものか、思考がおかしい(わかりやすく言えば、頭がおかしい)のどちらかではないか
この文章の使い方から,dolceさんが教師時代にどのような言葉を使っていたのか,心配になるのです。
国語力がまだ十分に身に付いていない子ども,思考力が十分に育っていない子どもが,論理的に「おかしいこと」を言ったとします。これをdolceさん流の「わかりやすい」表現では,「頭がおかしい」とよぶわけですね。
*********************
カルロスさんのご指摘のとおり,私の文章をお読みになった方の中にも,たいへん不快な気持ちになった人がいるかもしれません。
この場を借りて,お詫び申し上げます。
お願いは,長い目で見て,希望を捨てない教育のあり方というのを感じていただきたいというのが,私の思いです。
貴重な時間を割いて,無駄なことをしているように思われる人がいるかもしれません。
教育という仕事は,ある面では,非常に無駄なことの繰り返しをしているにすぎないとも言えます。
しかし,それを無駄だからやめる,と思った瞬間が,教育という仕事から去るときです。
現場にも,そこから去った人の中にも,一度,本当の意味で教育の仕事から去ってしまった人がいます。
というか,本当の意味で教育の仕事に「最後まで」かかわることができなかった人がいます。
今回,確信がもてたのは,亡霊の正体です。
成仏できないでいる理由が行間からしみ出しています。
あともう少し,ご辛抱ください。
« やっと気づいてくれたdolceさんに感謝!=第一関門突破 | トップページ | dolceさんを喜ばせるための情報×2 »
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
- 道徳教育をまともにやると,教員の立場がなくなる(2017.09.21)
- あの子どもは自分が見捨てた? 思い上がりもいい加減にしたまえ(2017.09.10)
「学校評価」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
- 「怒鳴り殺し」の生活指導(2017.10.18)
- 9月19日 食育の日と給食大量食べ残し問題(2017.09.19)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
「教職教育」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
「教育」カテゴリの記事
- 学校の評価・評定は,本当に適切なのか~中学校別評定割合一覧からわかること(2018.04.15)
- コミュニケーション能力の乏しい人たちが考えるコミュニケーション能力向上策(2018.04.15)
- 成績(評価・評定)管理の不徹底問題(2018.04.14)
- 横浜市立学校の「教職員の働き方改革プラン」(2018.04.11)
- 再任用校長の「何でも言える」境遇が素晴しい(2018.04.11)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/54694650
この記事へのトラックバック一覧です: 人権感覚がよみがえるかどうかが第二関門:
« やっと気づいてくれたdolceさんに感謝!=第一関門突破 | トップページ | dolceさんを喜ばせるための情報×2 »
コメント