中学校1年生の5月危機に備えて
中学校1年生の当初は,授業をしていると,子どもたちの
「反応のよさ」に,教師のたちの気持ちも高まります。
挙手は多いし,とにかく授業に集中している生徒が多い。
しかし,そういう姿も,やがて見られなくなっていく。
授業がわからなくなっていく,子どもの学力の問題や,教師の指導力の問題は,ここでは置いておきます。
課題は,
「同調性圧力」に慣れていた子どもが最初に遭遇する「排除圧力」との戦いです。
授業で子どもがとても「いい反応」をしている,というのは実は教師の自己満足にすぎない面もあります。
それは,大した話でもないのに「バカウケ」する状況。
「みんながウケているときに,自分だけしーんとしているわけにはいかない」という同調性圧力への屈服という姿であるという解釈もしてみることが大切です。
こういうことが積み重なると,自我が芽生えた子どもたちにとっては,やがて「周囲に合わせる」ことが負担となってきて,自分と周囲のどちらに合わせるべきか,悩むようになっていく。
それが,正しい子どもの姿なのでしょうが,
あまりに早い時期に「周囲に合わせる」ことをやめると,今度は
「排除圧力」を受けるようになる。
これを,「排除圧力」と感じてしまうかどうか。
小学校から,「違うことがよいこと」と教えられている子どもは,それほど気にはならないかもしれませんが,「排除圧力」の中には,非常に強力なものもある。
みんなが手を挙げていると,自分も手を挙げないといけないように思える。
みんなが先生の話にウケると,おもしろくなくても,自分もウケないといけないように思える。
排除圧力を排除するための心のはたらきです。
こうした,群れで飛んでいる鳥のように,先頭に合わせて瞬時に方向を変えるような動きは,
クラス目標として
「One for All」「団結力」などという言葉を強く使ってしまうようになると,なおさら「至上命令」として従わなければいけなくなる。
生きていくために,一緒になる。
本当は,「All for One」「個性」が大事なのに,中学校1年生にクラス目標をつくらせると,「まとまり」の方を優先させてしまう。
日本では同調性圧力は空気のように当たり前のものですから,こういう「全体主義」的な目標ができても,「すばらしい目標だ」という印象の方が強い。
こういう状況で,自我の芽生えが早い子どもが,
群れから離れる行為
をした場合,どうなるか。
これは,自分の意思で行ったことだから,排除圧力や矯正圧力が加わっても,そんなに問題ではないかもしれません。
しかし,自分は群れで飛んでいきたいのに,
群れから追い出されるような行動を周囲からとられた,と感じてしまうと,どうなるか。
子どもは,学校に「居場所」がなくなった,と思ってしまう。
自分と言う存在が承認されない場所は,自分がいるべき場所ではない,と思ってしまう。
成長すれば,自分の「居場所」は自分でつくる,ということがわかるのですが,周囲がそれを用意してくれるもの,と思っている未成熟な子どもは,「居場所」がない学校に行きたくなくなってしまう。
これが5月連休後の「危機」です。
4月当初から,
だれもが「居心地がよい」と感じる場所というのは,
みんながいつも同じでなければならない,同じである,そういう場所ではなくて,
「違いが認められる場所」なのだ,
という前提で指導されていれば,子どもたちは周りの子どもたちの「変化」に正しく対応できるようになる。
「変化」への「誤った対応」が,「排除行動」なのです。
「お前がそういう態度だから,私たちの居心地が悪くなる」という態度を,教師がどうコントロールしていけるか。
これが5月の生徒指導の重点課題となるのでしょう。
5月は,教師の側も,個人の「失敗」を「成功をつかむためのヒント」ととらえて,本人だけを責めるような指導の仕方を避ける。
ただ,全体に対しては,「違いを認める原則」を徹底させるために,強い指導に出る。
どんな指導をしても,おそらく不登校を開始する生徒はゼロにはできないでしょう。
「そこに至る経緯」を,どれだけ深く分析できるか。
失敗から学べる学校づくりは,子どもだけに強いるのではなく,教師自ら実践していかなければなりません。
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ところでカルロスさん。
小学生は,中学生と比べたら,未熟な存在です。
小学校が悪いわけではありません。
まだ成長できていない,それだけのこと。
あまり小学校の先生は,責任を感じすぎない方がよいですね。
責任感が強すぎる先生のクラスから上がってきた子は,息をつける場所がなかなか見つけられずに,力尽きていくことがあります。これも5月危機の一つでしょう。
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