ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 教育における「想定」のマイナス効果 | トップページ | 私は心の優しい人です? »

dolceさんに質問があります ~そのリスク観について~

 dolceさんが最新の記事

 「人間は難しい」であつかっている「世界」の範囲に入っているのは,

 人間と,機械と,あとは何でしょう?

集合の概念図を書くと,どういうことになるのでしょうか?

 というのは,

>信頼性とは、予測したような動きをするということですが、唯一、予想したように動くとは限らないのが人間です。
>また、そこが人間の良さでもあり悪さでもあり、人間がまさに人間と言われる所以なのかも知れません。
>優れた経済学者が投資に長けているとも言えません。
>それは、投資の難しさを表しているとも言えますが、予測不可能なのは、人の心理が要素にあるからです。
>誰かの一言で、株も上がったり下がったりします。
>結局、投資のプロもアマチュアもトータルでの勝率は同じぐらいだそうです。
>どんなに経済学を学んだとしても、人間が介在する限り、計算しきれない部分があるのです。

>唯一、計算に入らない人間をどうするか?というのが、私にとっては課題でした。


 「予想したように動くとは限らない」「計算に入らない」ものが,「人間」だけだ,というのが,これらの文の意味ですか?

 どうして疑問に思ったのかと言うと,

 たとえば投資の場合,「想定外」「予測不可能」な部分は,一般的には「リスク」とよばれる範疇のもので,

 だれでも「想定」はできますが「予測」に限界があるものに「自然リスク」があるのは言うまでもないことでしょう。

 ある程度の予測が立つのは,火山の噴火,落雷,豪雪,津波等ですが,その規模までは難しい。

 日本で最も「こわい」のは地震で,それは突然やってくる,つまり,予測が立ちにくいこととも原因の一つでしょう。

 突然の停電で,今までつくりあげてきたコンピュータのデータがすべて無になる,そういうリスクもある。

 ですから,コンピュータという機械を使う場合も,さまざまなリスクを想定して,バックアップを定期的にとるなど,対策を講じておく必要があるわけですね。

 人為的なミスから油田で爆発事故が起こり,原油価格が高騰することもあれば,ストライキで生産がストップし,売り上げが落ちることもあるかもしれない。トップの犯罪で企業イメージが悪化して業績に影響が出る場合もある。

 社会リスクやモラルリスクを想定すれば,

 たとえば,犯罪を犯そうとする人間が機械を動かす場合,機械がその人間の想定通りに動いてしまえば,非常に効率よく,犯罪を遂行することができる。

 機械は,それを動かす人間次第だということです。

 オーケストラの演奏で,おそらく演奏会ごとに「弦が切れる」ような信頼性の低い楽器をもっている人はいないでしょうが,「弦が切れる」可能性はゼロではない。

 仮に「想定」はしていても,実際にそれが本当に起こると,予備があってもパニックになる子どもがいますね。

>唯一、計算に入らない人間をどうするか?

 という考え方の人は,「人間以外は何でも計算通りに動く」 「人間以外は何でも思い通りになる」

 なんて誤解をするおそれがあるので気をつけたいものです。

 さて,ここからは教育の話ですが,

>唯一、計算に入らない人間をどうするか?というのが、私にとっては課題でした。

>それで、私が出した答えは、ひとことで言えば人を束縛しないということでした。

 という点ですが,ここで大事なのは,

 「計算」とは何であったのか,ということです。

 もう少し,具体的な言葉で表現できれば,「指導力がない」状況が明らかになると思われます。

 dolceさんには,

 「人間を思い通りに動かしたい」というゆるぎない欲求があって,

 せっかく「自主性を重んじる」という教育的な配慮を見せたのに,

 最後には「忠誠心を高める」ことがねらいになってしまうという点が,根本的な課題であることに気づいていただきたいと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 教育における「想定」のマイナス効果 | トップページ | 私は心の優しい人です? »

教育」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

「ゆとり教育」」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: dolceさんに質問があります ~そのリスク観について~:

« 教育における「想定」のマイナス効果 | トップページ | 私は心の優しい人です? »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より