ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 【特別公開】 中学生の発表から,小学生が学んだこと(お手紙より) | トップページ | 教師は,校長への忠誠心ではなく,子どもへの教育愛で動く »

dolceさんらしさにあふれた教員の職場の人間との関係

 dolceさんが「頭のおかしい人がいるから、その人を治療するための病院があるのです。」のような,不適切な言葉遣いについて反省することなく,無視を決め込んでいる人間だとわかっていても,こういう人が教育現場にいることで,子どもも周囲も大迷惑していることを自覚症状のない人に知ってほしいので,記事にしております。

 今回は,私のブログに寄せられたコメントを無断で全文引用して,また,「教育に情熱をかける教師」とは全く関係のないズレた揚げ足取りをされているので,どこが問題なのかを明らかにしておこうと思います。

 
>この人は先生で、しかも理科を教えている人だった。
>もちろん、言っていることは間違っている。
>理科の先生が、これではまずいと思うのだが、恐らくこの人は、よほどのことがない限りずっとこのままで行くんだろうなという気がした。
>学校というところは、いろいろな教科の先生が集まっている。そして、ようだ。
>特に、プライドの高い人にはモノが言いにくい。
>だから、例に挙げた理科の先生の場合は、教師としての経験は20年以上あって、自他ともに認めるベテランという地位にあるので、自分の知識に疑問を持つこともないし、他人も口出しをしない。
>いや、実は、私は口を出してしまったので、以後すっかり嫌われるようになったという苦い経験がある。
>もっとも、その人に嫌われたからといってどうと言うことはない。
>むしろ、ああいう人にはなりたくないと思うようになった。


 批判されたくない人間と,批判したくない人間が教育現場にそろっていると,学校は決してよくなりません

 これが,最悪の組み合わせです。

 「何でもあり」の職場になってしまうのです。


>教科が違うと互いにその領域を犯さないようにという暗黙の了解のようなものがある

 のを払拭するのが,校内研究です。

 授業実践等の課題を指摘できない校内研究は,やるだけ時間の無駄です。

 こういう学校では,「学校評価」もほとんど信頼性のないものと「評価」されるでしょう。


 dolceさんの,教師としてのレベルは,

>嫌われるようになった=苦い経験

 であり,

>ああいう人にはなりたくない

 で終わってしまうところに象徴されています。

 もし,「教育に情熱をかける教師」であるなら,少なくとも相手のプライドを傷つけないように配慮しながら,伝えたいことを伝えるべきなのです。

 「嫌われる」ことを避けるために意見を言わない・・・・また,

>コミュニケーションなんかとっていませんよ。コミュニケーションをとるつとめなんてありません。
>世の中で、だれかが間違っていたら、いちいちそれを正す(教える)つとめなんて、ありませんよ。

 のような,同僚の話を「世の中のだれか」にすり替え,責任の度合いを濁す,こうしたパターンを繰り返すdolceさんについて正しく言えることは,

>自分が間違っていても,それを正すつとめはない

 という絶対的な信条をお持ちであることです。

>「頭のおかしい人がいるから、その人を治療するための病院があるのです。」

 という表現は,間違っていない,だから,削除しない。

 そういう信念もお持ちなのでしょうね。

 今回もわかりやすい,教員の典型的な「逃げ」の具体例を示していただいて,ありがとうございました。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ 

« 【特別公開】 中学生の発表から,小学生が学んだこと(お手紙より) | トップページ | 教師は,校長への忠誠心ではなく,子どもへの教育愛で動く »

教育」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: dolceさんらしさにあふれた教員の職場の人間との関係:

« 【特別公開】 中学生の発表から,小学生が学んだこと(お手紙より) | トップページ | 教師は,校長への忠誠心ではなく,子どもへの教育愛で動く »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より