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dolceさんが紹介してくれた指導力の低い教師の事例を解説します

 一生懸命考えて出てきたネタが,

 「小学校時代に茶摘み体験がある中学生に先に茶摘みをさせ,その体験がない中学生を待たせる」というケース。

 もしかしたら,「茶摘み体験があるために早く作業がすんでしまった生徒を待たせておく」のかも。

 しかし,これを「授業中のケース」と呼ぶには,あまりにも特殊な事例すぎますね。

>例えば、授業中に「ちょっと○○小出身の子たちは待っててね」ということがあったという。
それは、あまりにも早く出来てしまうので、待たせることがあったという。

 というdocleさんが紹介されていた事例について,

 私が,ふつう,授業中にそういう指示の仕方をする中学校教師はいない,と書いたら,なんだか過剰な反応がかえってきましたが,

 この「茶摘み」が「ふつう」のケースではないのはだれの目にも明らか。

 しかも,その指導のあり方がまたまずい

 ふつうは,茶園に行くまでに,「茶の摘み方」などは指導しておくのが常識。

 そこで初めて「摘み方を指導する」のはおかしい。

 また,早く作業が終えた子どもを待たせておく,というのもおかしい。

 どういうケースを想定しているのか,はっきりわかりませんが。

 出身小学校別にグループをつくらせて茶摘みさせるよりも,茶摘みの仕方をよく知っている子どもと,未経験の子どもを同じグループにして,子ども同士でやり方を教え,教えられながら作業を進めていくというふうに指導するのが「ふつう」ですよ。

 籠はそんなに大量にあるわけではないですから,必ずグループで茶摘みをすることになる。

 もし,本当に「戦力」として子どもが使われているのだとしたら,「待っているひま」「待たせておくゆとり」などないですよ。

 あと,こちらは茶農家の方と親しいですから誤解のないように書いておきますが,

 茶農家さんにとってのこの時期というのは,年間の大部分の収入を得るほど,重要な期間です。

 しかも,手摘みの茶は高級茶であって,売り物になる茶の収穫を小中学生に手伝わせているというのも,非常にレアなケースです。日本の場合,茶は摘んだらすぐに次の行程に入らないと,発酵してしまいますからね。

 収穫は,基本的に機械で行われます。

 とにかく,時間との勝負なのですから。
  
 こういう時期に「茶摘み体験」ができるのは,よほどの余裕のある農家です。

>日本人の生活になくてはならないお茶ですが、こうした子どもたちが担っている

 将来は担う人がいるかもしれませんが,・・・・・。

 どうもご自分の書くことに関しては,鏡で反射してしまうよう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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