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犠牲が大嫌いなdolceさんが忠誠を説く不可解

 「経営のポイントは忠誠心

 というタイトルだけ読むと,いつの時代の話か?と心配になります。

 以下の解説をお読みください。


>世界大百科事典 第2版の解説(引用させていただきます)

>ちゅうせい【忠誠 loyalty】

>自分より上位にある人物,集団,理念等に対する尊敬の念を伴った献身と服従の態度。場合によっては,対価をまったく期待せずに,全人格をあげて一方的になされる奉仕と自己犠牲という形をとることがあり,日本の武士道の説く忠誠はこれに近い。個人に対する忠誠は,封建時代における国王や諸侯への服従に典型的にみられ,社会的結合の根幹をなしていた。近代では軍隊をはじめとする官僚制組織内の部下の上級者に対する態度にみられる場合がある。


 次に,「経営のポイントは忠誠心」という記事を読みましたが,この記事に書かれた内容の「本質」が,

>仕事をしていても、ただ仕事をしていればよいのではなく、仕事の密度が大切なのだ、ただ長時間仕事をしていればよいのでもないし、身が入っていなければ良い仕事はできない

 というものだと解釈するのは,記事からは不可能だと思われます。

 仕事に身を入れされるために,忠誠心を高めさせる,という発想自体がおかしいことは,上の解説から明らかなことです。

 上下関係の良しあしですぐに仕事の密度,時間,真剣度が変わってしまうような会社は,すぐにつぶれてしまうでしょうね。

>社長の人がらにひかれて、この社長のもとで働きたいと思っていたわけです。

>正社員を多くして業績の上がった会社もあります。
>それは、正社員になれたことで、人は会社のために働こうとか、人を大切にしてくれる経営者のもとで一生懸命働こうという忠誠心が高くなったことが原因です。

>他界されたが、私が名校長と思った人も人の心がよくわかった人だと思いました。
>先生たちを大切にしたので、先生たちはかえって熱心に仕事をしたのです。

 待遇が良くなること,管理者に思いやりがあること,これで,忠誠心が高まる。

 そういう話と解釈するのは誤りなのでしょうか?
 
>しかし、ここでも勝手に、校長への忠誠心と解釈を決めつけたり、人間関係がどうのこうのとまるで見当違いのトンチンカンを論じている人がいました。

 「忠誠心」の話なのですから,dolceさんが例を挙げているように,「人間関係」が重要であると解釈するのがふつうなのでは?
 
 それは,「見当違い」なのでしょうか?

******************

 待遇をよくするとか,やさしい管理者であるとか,そういうことではなく,

 「自ら学ぶ力」を引き出すのが,指導者としては大事なのでは?

 学校教育では,「集中力を高める」ために,様々な工夫をするわけですが,一番よいのは,「優れた教材」を用意することです。
 
 「教える」ことばかりに目を向けるのではなく,子どもが「学ぶ」ことに目を向けるようにしなければなりません。

 教育実習生は,3週間で,少なくともそのことに気づいてほしいと思います。

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コメント

「市民」「国民」のためにはたらく教育公務員の方が,「市民」「国民」よりも自分の権利を声高に叫ぶ傾向がある国は,どのくらいあるのでしょう。

忠誠心という言葉が出てきた時点で、どこか根本的な間違いがあるように思えます。
そもそも忠誠心という概念は戦争のためのもので、より残虐な殺人鬼が権力を握り武力で支配した時代の考え方ですね。

会社でのお話、忠誠心では無くて仕事への愛着と考えられないでしょうか。
誰しも長年勤めた仕事場が無くなってしまうと、生活にも困るし新しい仕事を見つけるのも簡単では無いはず。

待遇が良いことと人間関係のこととは比べたり関係を見いだす事は難しいでしょう。

原発事故で問題になった東電ですが、考えられないほど大量の保養施設を持ち、電力供給とは全く関係ない業務が莫大にふくれあがっていたことがばれました。
こういう会社では、上と下との人間関係は非常に希薄で、それこそ忠誠心で縛り付ける、要するに札びらで人のかををはたいているのと違わないのでは無いかと思うのです。

学校で忠誠心なんていう言葉が出てくる考え方そのものに何か視点が歪んだ感じがしますね。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より