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dolceさん本人の「問題の指導」についてご質問します

 どこかの中学校教師の指導事例かと思ったら,ご自身の指導とは・・・・・

 ならば,お答えいただけることがたくさんありますね。

 茶摘み体験の学習を行うことが,「指導力の不足」を示しているわけではないことは,記事を読めばおわかりになりますよね。

 もしその時点で誤解されていたようならば,訂正される必要がありそうです。

 dolceさんは,大事な「指導内容」については,まだその事実を何も語られておりません。

******

 いくつか,質問があります。

 最大の質問は,

 「早く進みすぎる●●小出身者だけを待たせる」という事例が,

 なぜ教室の授業の話ではなく,特殊な「茶摘み体験」いいえ,「茶摘み労働」の話になってしまったのか?

 それしかなかった?

 もうこの授業自体が「ふつう」ではないのは,だれの目から見ても明らかですね。

 そして,重要な質問は,この茶摘みの場面で,

 ●●小出身者が,なぜ「早く進みすぎるので」「待たなければならなかったのか」です。

 この理由がよくわかりません。「指導力の低さ」を感じるポイントがここです。

 この「労働」が,「ノルマ制」だったとしか,考えられません。

 子どもたちは協力して作業するのではなく,

 自分の割り当てられた分だけ,やればよい,ということですか?

 「●●小出身者だけ,早く終わってしまう」ので,「待っていて」という話でしたから,

 それ以外のことがなかなか考えつきません。

 その次の質問は,

 これは何の授業だったのでしょう?

 授業のねらいは?

 dolceさんは,茶の摘み方の指導をすること,中学生を労働者として使うことが,教師の仕事だと思っていらっしゃるのですね?

 「茶摘みを仕事にしている」中学生って,これはこれですばらしいのかもしれませんが,今も続いていますか?

 何時間,子どもは茶摘みをするのでしょう?

 授業時間で摘める量は「製品にできる」ほどの量なのでしょうか?

 次は細かい質問ですが,

>茶摘みの場所は、全国一の生産高のところです

 これ,静岡県のことをおっしゃっていますか?

 それとも,市町村の単位?

 いくら後継者不足といっても,中学生が教師の指導のもとで労働者として茶摘みをしているというのが,どうも解せません。

 そういう体験用に,お金をとって体験させる,という「観光農園」的な茶農家や組合があるのは知っていますが・・・。

 いずれにせよ,茶摘み体験をさせること自体には,問題はないのです。

 問題なのは,その指導のあり方なのであって。

 ・・・・議論をされたそうなので,ご回答をいただくのが楽しみです。

 ただ,dolceさんの今回の反論記事はかなりポイントがずれているので,ちょっと心配になっていますが・・・・。

 健在なところは相変わらず絶好調なのですけど。

 もし本当に,「●●小出身者は待っていてね」という指示が,「ふつうの授業でなされること」の不適切さを認識できないのであれば,その点についても,議論をしなければなりません。

 もはや,ワンパターンの,「すべてにあてはまるわけではない」という指摘は不要ですよ。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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