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dolceさんに不足している追究力

 書けば書くほどハテナになるdolceさん。

 せっかくの「チャンス」を棒に振ってしまった。

 まだ「出身校別指導」にこだわらないと,気が済まない。

 そして,「そのどこがおかしいのか」についての思考を働かせようとしない。

>グレードの違うものを区別しても、何も問題は起こらない。
>昨日、来客があって、その人は高校の時困ったことがあったと言った。
>中学校の時、その中学校では独特の体操をやっていたので、高校でラジオ体操ができなかったと言う。
>それで、体育の先生から「○○中学校の出身者はできないでしょうから、しばらくは他の人のを見ていても
>いいです」と言われたそうだ。
>この扱いは何の問題もない。

 ラジオ体操は,中学校でしか学んで習得できないものなのでしょうか???

 中学校で独特な体操をやっていた生徒は,すべて,ラジオ体操ができない生徒だったのでしょうか???

 愛知県では,小学校でラジオ体操を教えないのがふつうなのでしょうか???

 せっかくのチャンスだったのに・・・・。

 「本当に,その中学校の出身者は,全員がラジオ体操を知らなかったの?
 
 「ラジオ体操って,前でやっている人の動きを見て,同時にできるものではないの?

 という疑問が生まれない理由はただ一つ。

 人間の思考力を奪うものが何であるかを,今回,dolceさんは如実に示してくれました。

 本ブログの管理者として,本当に感謝いたします。

 **********

 ちなみに,「待っていてください」と,「見ていてもいいです」では,違いが大きすぎますね。

 **********

>自ら自分の病気を公開している、どこやらの先生のように、この方は動画に出てくるチエック項目にもかなり当てはまるように、病気なのだと思う。

 「どこやらの先生」とは???

 こういう1文も,そう簡単にはスルーできませんね。

 dolceさんが変われるチャンスは今しかないかもしれませんよ・・・・。

 カルロスさんの訴えをどうぞお聞き届けください。私から言っても,反発して,次々に問題発言が飛び出すという逆効果になっているようですから・・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より