人にモノを教えるのには、3倍知っていればいいというわけではない
知っていれば,教えられる,というのは,教育実習の大学生が陥りがちな誤りです。
授業をしてみれば,人の10倍,いえ,100倍知っていようが,
「教える」ことができない人はいるのです。
でも,現役の教師にも,そんなことすらわかっていない人がいる。
dolceさんは不適切な言葉を罵倒のために駆使する一方,すばらしい言葉を残しているという一面もあります。
>教える立場にあるものとしては、教えることは自分の趣味ではない、権威のためでもない、子どもの将来に影響を与えることの責任がある
>ということを常に感じ、人にモノを教えることの恐れを常に忘れないようにしなければならないと自戒しています。
その通りです。
加えて,本当は,どういう人間に「教える」資格がないかも,よくわかっていなければならないはず。
私としては,「教える」ということの意味をわかっていない人には,
「教える」仕事についてもらいたくない。
「モノを教える」という程度の発想なら,3倍知っていればできるかもしれない。
しかし,教育は「モノ」だけを教える仕事ではないのですね。
いえ,教育は「モノを教える」仕事ではないのです。
では,何を教えるか。
知識が乏しくても,「教える」ことはできるのです。
人間が機械とは異なっていることがわかっていないで,
何かの知識があるから,「教えることができる」わけではないのです。
おそらく,そういうことがわかる教育を受けてこないと,
「人の3倍知っていないと教えられないぞ」という恫喝をするような人間になってしまうのですね。
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