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人にモノを教えるのには、3倍知っていればいいというわけではない

 知っていれば,教えられる,というのは,教育実習の大学生が陥りがちな誤りです。

 授業をしてみれば,人の10倍,いえ,100倍知っていようが,

 「教える」ことができない人はいるのです。
 
 でも,現役の教師にも,そんなことすらわかっていない人がいる。

 dolceさんは不適切な言葉を罵倒のために駆使する一方,すばらしい言葉を残しているという一面もあります。

>教える立場にあるものとしては、教えることは自分の趣味ではない、権威のためでもない、子どもの将来に影響を与えることの責任がある
>ということを常に感じ、人にモノを教えることの恐れを常に忘れないようにしなければならないと自戒しています。

 その通りです。

 加えて,本当は,どういう人間に「教える」資格がないかも,よくわかっていなければならないはず。

 私としては,「教える」ということの意味をわかっていない人には,

 「教える」仕事についてもらいたくない。

 「モノを教える」という程度の発想なら,3倍知っていればできるかもしれない。
 
 しかし,教育は「モノ」だけを教える仕事ではないのですね。

 いえ,教育は「モノを教える」仕事ではないのです。

 では,何を教えるか。

 知識が乏しくても,「教える」ことはできるのです。

 人間が機械とは異なっていることがわかっていないで,

 何かの知識があるから,「教えることができる」わけではないのです。

 おそらく,そういうことがわかる教育を受けてこないと,

 「人の3倍知っていないと教えられないぞ」という恫喝をするような人間になってしまうのですね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より