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県の常識が非常識かもしれない

 インターネットでは,平成22年1月(第902回)の長野県教育委員会定例会会議録が公開されています。
 
 ここには,以下のような会話が残されています。
 
 長野県では「校内LAN」を知らない人が議事録を取っているようでさびしい気もします・・・。

 太字の部分は私が注目した部分です。

****************

> 山口教育長

 出張を命ずる権限は学校長にあります。ですから、例えば研修会にしても、行っていいよということは、最終的には学校長が判断するという形になります。そのような中で、高等学校の場合はとにかく授業交換をできるものは最大限にやるとかいうことをやっております。私が経験した例でいいますと、予め出張が決まっているものを教務室に張り出しまして授業を振ります。あるいは授業を替わりたいのだけれどもというものを張り出すのです。そうすると、ある理科の先生が月曜の5時間目は出張で、その授業を私の国語が遅れているからくださいという形でもらうような形になります。ただ、これは時間割が固定化していたり、あるいは学校によっては規模が大きくなったりして、ひとつのところに同じ教科が同時に入るというようなことになりますと、替わりの教員が手当できないというケースもございます。できるだけそうやって自習を少なくすることはもうしょっちゅうやっております。ただ、そうやっても自習にせざるを得ないときがありまして、そのようなときには、英語の先生が空いているけれども数学の授業はできないので、そのような時には出欠を採ったり、指示したり、あるいは用意されたプリントを持っていって、プリントで学習した後、クラスの学習係は集めて持って来てください、というようなことをやったり、いろいろな形で自習の指示をしているというのが実情であります。ただ、本県の小学校では担任が全ての教科を持ちます。ある程度の規模がないと専科教員も配置になっておりません。教頭さん、校長さんがいますから担任が不在の際は当然何らかの対応はされるでしょうけれど、そういったところの難しさはございます

>耳塚委員

 そもそも、平日の授業のあるような時間帯に研修がセットされているのは本県の特徴ではないかという指摘だったのです。

>矢﨑委員長

 要するに長野県教育の中でそのことを善としてきている風土が有りはしないでしょうか千葉県に行ったら、この中学は授業中に先生が出るなんてことは考えられないと校長が言っていました。要するに、長期休業の時とか、例えば自分のことを言って恐縮ですが、茅野市は市民との会議は全部午後7時からでしたからね。昼は絶対にやりません職員は残業になるので嫌がりますが、市民は午後7時からでないと出れません。市民会議は午後7時になると何十人という一般市民がどんどんと入ったそうです。要は、学校の場合は夜とは言わないけれど、長期休業の時に研修とか会議とかいうものを集めて、生徒や子供がいる時は、生徒と向き合う時間を多くするような、そういうことがもう少しダイナミックにできないかというのは前から思っていたのです。

>山口教育長

 おっしゃるとおりだと思います。原則的に自習を無くすべきだというのが前々からいろいろな方から御指摘がありました。職員のいわゆる研修は長期休業とか、できるだけ授業の無いときにやるべきで、それでもやらなくてはいけないときもあるのですけれど、これは例外と考えて、もし、更に踏込んだ議論をするということになると当然そこまで言わざるを得ないし、先ほど伊藤委員から出た枠組みの問題でも言わざるを得ないし、それから学校のIT化が進んでいる部分がありますので、できるだけ校内RUNでできるものはやって、顔を見ながら意見交換をやるとか、あるいは全体の流れで野村委員に言われてはっとしたのですけれど、先生方同士が向き合っていないのです。それは忙しいだけではなくて、どうもそのような風潮のようなものを私自身もいろいろなところから受けています。言葉で言えば済むことをわざわざ文章にして、配って読んでくださいというような報告もしません。顔を見て言えば済むことなのですけれど、そのようなこととかがあろうかと思っています。学校も社会の中にありますので、いろいろな意味でそのようなものの影響を受けている部分がありますが、いろいろな変革期で曲がり角にきていますので、私どももいろいろな調査をかけるのです。(以下,略)

>矢﨑委員長

 教学指導課長、そのような研修会とか会議は長期休暇といっても先生が出てこなければいけないですよね。先生に休みは無いですよね。しかし、子どもはいないのですよ。子どもがいるときといないときの教師の仕事の仕方をドラスティックに思い切って変えるということはできませんか。後でいろいろ言いたくないので、もうひとつ言わせてもらうと、千何百人減ったなんていうのは、こんなものは何も減ったことになりません。それは、耳塚委員が言われたように、もしかしたらこんなことはしなくても減ったかも知れません。これで1,400人減ったなんていうのは全く今回の大きなテーマからいくと、それは少し改善したような程度のことで、そうではなくて枠組みとか骨組みとか、要は研修とか会議は生徒がいないときにやって、生徒がいる時にはできるだけ生徒に向き合う時間を多くするような、思い切った変更をしないと解決しないのではないかと思うのです。そういう配慮をした上で現状なのか、教えてください。

>北澤教学指導課長

 御指摘はもっともだと思いますが、実は今も既になるべく子ども達が学校にいるときの会合や研修等をなるべく避けて、例えば午後の3時からの開催とかにしながら工夫して会議等を設けてきている状況があります。ただ、それは地域に密着したときの会議はそのようなものも可能ですけれど、どうしても全県的に開催したいとすれば、この長野県の広さでは難しい点があります。

>矢﨑委員長

 それは分るのですよ。いつやってもいいものは長期休暇の間にまとめてやればいいのです。

*********************

 授業が最優先という原則を忘れないのが,教育に情熱をかける教師,自治体,家庭らしい姿でしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より