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管理されるのが嫌いな人は,実は管理するのが好きな人

 管理されるのが嫌いな人は,実は管理するのが好きな人でもあるのですね。

 心当たりはありませんか?

 そういう人向けの情報をここに掲載しようと思います。

 校長をコントロールする方法です。

 カルロスさん向けの記事というわけではありませんので,念のため,おことわりしておきます。

 校長は学校を管理するのが仕事です。

 だから管理職とよばれるのです。
 
 一番大切なのは,教員の管理です。
 
 なぜなら,それが子どもを様々な面で管理することにつながるからです。

 「管理する」という言葉が,肌に合わない人には,こう質問してみましょう。

 「あなたは子どもの健康や安全を管理できていますか」

 「あなたは自分の生活習慣をしっかり管理できていますか」

 「あなたは教育課程をきちんと管理できていますか」

 「あなたは個人情報が入っているパソコンや記憶媒体を管理していますか」

 
 公務員の仕事で,「管理」は基本中の基本であり,そういう資質があるかないかは,その人の机の上や棚の整理の仕方を見ればわかります。

 
 さて,話を戻して,校長は教員を管理する仕事がありますが,多くの一般教員は,校長の仕事を知りません。

 校長をコントロールするためには,まずその仕事を知ることです。

 次にすることは,その仕事に校長がどれだけ本気で取り組んでいるかを,部下として評価することです。

 中には,本気にならないでほしいこともあるかもしれませんが,その仕事の目標を実現するために,何をどのようにしているかを知ることです。

 校長の仕事を部下として評価していくことで,管理されるのが嫌な人たちは,あることに気づいていきます。

 そうすれば,校長をコントロール下におくことができます。

 学校を管理しているのは,実は校長ではなく,自分たち教員であることの自覚が高まることで,「管理」という言葉への抵抗感がなくなり,あらためて,「自分を知る」ことになる。

 一番大事な情報は,結局,書きませんでしたが,教育現場が最も大事にすべきものがそこにあるので,やはりそうすることにしました。

 教員に最も足りないもの。

 それが,自分がコントロールされているという認識ではなく,自分がコントロールしている・・・・いえ,コントロールできていないという認識です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より