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誤解?されているカルロスさんへ ~中学校とはどういうところか~

 カルロスさんはいつから本ブログを訪問されているか分かりませんが,私のスタンスは基本的に変化しておりません。

 小学校の課題にふれているのは今に始まったことではなく,過去の記事を「小学校」で検索してみても,かなりの数に上っており,かつ,刺激的なタイトルが多いのが分かります。

 中学校としては,小学校を卒業してきた「被害者」を受け入れ続けている立場として,どこに問題があるかを考えていただきたいというのが,私が送り続けているメッセージです。

 すべての小学校や小学校教師が,すべての子どもを「被害者」にしているとは思いませんが,そういう前提に立つことで,初めて見えてくる問題もあります。

 小中連携などでは見えてこない,小中一貫になって初めて分かる課題があることはご説明しましたが,小学校の教師は「いい面」ばかりに目を向けるあまり,「これくらいはいいや」といって小さな問題の芽を摘まないことが多く,それが中学校で肥大化していることに気づくチャンスはなかなかないのです。

 私の勤務していた中学校に入学してくる小学校の多くでは,「ゲーム等,遊び道具が持ち込み可」でした。算数が苦手でできない子どもは,ゲームをやって時間をつぶしていたそうです。

 4年生くらいからその習慣は続いていたようで,中学校3年間,数学で苦しんだのは言うまでもありません。

 これはほんの1事例に過ぎません。

 1人の担任教師に,40人のほとんどの教科の指導に責任を持たせるのは,あまりに危険というのが私の20年以上にわたる経験からの実感です。

 さて,私はカルロスさんにメッセージがある場合は,このブログのようにご本人名をあげて記事を書くことにしております。

 カルロスさんが記事に書かれたことは,toshiさん方面の「逃避系」「差別系」を批判したことを誤解されてのことと存じます。

 精神疾患については,私も教育委員会の立場で保護者対応,学校対応に苦慮したことがありますが,直接的に子どもに被害が及ぶような場合は,とにかく子どもの側を守るべきだというのが私の立場です。

 直接的な被害はない場合も,子どもは大人の様子から非常に敏感に感じ取っていて,不安な中,毎日を過ごすことがあります。

 精神疾患になるリスクをコントロールする手段をもつのが「組織として優れた学校」であり,それで救われたはずの命もあったように思います。

 コンピテンシーというと,小学校教師の場合は,個人の能力を測る尺度としてのイメージが強いようなのですが,中学校では,組織力にうまくつながっていかないと,学年経営,学校経営が成り立ちません。

 その違いがよく理解できていない小学校教師の事例を紹介してくれたブログで,議論をしたかったのですが,逃げられて終わりになってしまいました。

 そのあたりの憤りは文章に出ていたかもしれませんね。

*******************

 カルロスさんには,ご理解いただけたようで,幸いです。

 ただ,理解すればするほど,苦しみで満ちていくものが,教育現場というものです。

 同時に,かけがえのない子どもたちの心からの笑顔に接することができるのも,教育現場というものです。

 小学校の教師には,中学生の複雑な表情をお見せできないのが残念でなりません。

 成長中に壁にぶつかっている人間の姿が,大人と子どもとの間で交錯するのが中学校という教育現場です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より