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カルロスさんの痛打と自打球 ~学校文化に欠けているもの~

 小学校の教師は,全人的な教育という崇高な志のもと,日々の実践を送っているので,中学校の教師とは違って,

 「こんな人間は許せない

 という気持ちの表れ方も,とても極端なものになりがちなのではないでしょうか。
 
 だから,「お前は何々だという病気の可能性があるぞ」という言い方を,平気でできてしまう。

 全人的なことを目指している人は,不思議と,全人的な否定の仕方をする
 
 AさんがBと言ったことはおかしい,という考え方ではなく,

 BといったAさんはおかしい,ということになる。

 だから,人間を全否定の方向に持っていく。

 全否定した人間の言うことは,表面的には聞くかもしれませんが,たとえそれが「正しいこと」であっても,心が聞こうとすることを閉ざしてしまう。

 それを私は教員だった時に,「指導主事VS小中学校の教師」との関係性の中に感じました。

 指導主事時代は,「全否定されないように」努力したつもりですが,じゃまな「看板」をはずすわけにはいかず,苦労したこともありました。
 
 たとえば,学校の自己評価の公開と外部評価の積極的な導入です。

 カルロスさんの自打球とは,こうした学校の取り組みが,法律が整備されて10年もたっているのになされていないことを公開してしまったこと。

 カルロスさんの痛打とは,「全否定型人間の具体的すぎる紹介」をされたこと。

 「人間全否定型」は,日本人には多いと言われています。

 ある特定の能力が高くても,一部の面で欠けていると,欠けている方が必要以上にクローズアップされて,人間として評価されない

 欧米では,その逆で,

 ある特定の欠けている面があっても,特定の能力が高いということで評価され,尊敬もされる

 どちらの社会が過ごしやすいかは,一概には言えませんが,日本人がはまり込みやすい落とし穴は,

 「人間全否定型」人間は,

 「人間全肯定型」人間になりやすい,ということです。

 歴史が証明しています。

 カルロスさんのような,

 「バカな管理職」「おかしな校長」という言い方では,今の問題は解決されないと思います。

 問題を積極的な姿勢で解決しようとする意欲が感じられません。

 こういう態度がいつでもどこでも徹底している人のことを,「当事者意識のない人間」として,私はくくっています。

 管理職が馬鹿だから,・・・・

 校長が,おかしいから・・・・

 こういう言葉を,自己弁護のために使っているという自覚のない人間は何人いても,

 学校は変わりません。

 もし,「管理職のバカな判断」「校長としてのおかしな行動」という言い方なら,その判断のどこか課題で,どうしたらよかったのか,という話に発展していきます。

 カルロスさんは,具体的なことを紹介していただいている(dolceさんの記事への批判ほどは具体的ではないですが)ので,少なくとも,「当事者意識のない人」ではありません。

 ただ,おそらく,学校文化がまだ「学校評価ができる文化」になっていないのでしょう。

 その原因は,多くの教員たちが,「全否定型」人間という自覚がないためではないか,ということについて,一考していただけるとよいと思います。

 「全肯定型」「全否定型」人間の語法や行動特性は想像されやすいかもしれません。

 課題もあります。

 そこに風穴をあけようとしたのが,

 「教師のコンピテンシーモデル」です。

 これは,たとえば21あるすべての項目でAランク,Sランクであることを求めるものではありません。目標にするのはかまわないのですが。

 長所はどこにあり,克服すべき課題はどこにあるのか

 そういう活用のされ方で十分です。

 「全能型」教師を現場は求めているのではありません

 さまざまある長所を互いが活用し合い,さまざまある「課題」を互いが補い合って,組織として動くのが学校です。

 そのためには,360度評価が必要です。
 
 上司から,同僚から,子どもから,保護者から,専門家から。

 もちろん,評価されることに耐えられない人がいることはわかります。

 いつも子どもを評価しておきながら,評価されるのを最も嫌うのが教師という人間です。

 子どもに「自分を知れ」と指導しておきなら,自分を知らないのが教師です。

 小学校では「一人が担っている責任」があまりにも重すぎるために,評価の発想に乏しいのでしょう。残念なことです。

 私はカルロスさんが痛打を浴びせた方が,指導力や人間関係を構築するのに課題がある人だとは思いますが,だからと言って,すぐに教員として不適格な人だとは思っていません。

 「おかしい」ことを書く人だとは思いますが,「頭のおかしい」人だとは思いません。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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