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こういう教師になってはいけない 【序】

 私はコネで教師になれました,なんて謙遜するような言葉を発すると,「世間知らず」の人が真に受けるので気を付けましょう。

 dolceさんには,一番大事な質問がスルーされてしまったので,そこだけ残念でした。結局,最後までdolceさんらしさを貫かれてしまいました。


 さて,4月2日に辞令をもらった「新規採用」の先生方,みなさんは,「正規の採用試験に合格」されて,晴れて教壇に立たれる先生方ですね。

 最初の日に初任者研修の第1回が開かれる自治体もあるでしょう。

 そこで居眠りした猛者?を知っていますが,しっかりと報告書をつくられましたか?

 このブログは,タイトルからわかるように,「教師がしてしまう失敗」「課題」を扱ったもので,まだまだ「失敗」の認知が甘いので,「創造」の域には達しませんが,「失敗から学ぶ」姿勢は,児童・生徒だったころから,持ち続けてきた人もいるでしょう。

 どこかで生かしてもらえたら幸いです。

 田沼雄一著『若い先生に贈る失敗から学ぶ教師学』(学事出版)という本があります(以降,私が紹介するときは,対象が若い先生だけではないので,『失敗から学ぶ教師学』と表記します)。

 著者のご本人には不本意化かもしれませんが,amazonでは300円台から購入できますので,どうぞご覧になってください。

 巻末の著者の連絡先のアドレスにはメールが届かなかったので,承諾は得られていませんが,この本の「はじめに」の冒頭を,ちょっと長めですが紹介したいと思います。

******************

 教師としての責任を果たせ
 
 現在,学校では解決しなければならない,たくさんの問題が生じています。その原因の多くは,教師がやらなければならないことをやっていないためにおきています。
 にもかかわらず,学校現場には無責任な仕事をする教師がいます。いいかげんな授業を繰り返し,指導力も身につけようとしない人たちです。
 社会の常識に欠けている,自分のことしか考えない教師では,子どもや保護者との信頼関係をつくることはできません。しかし,本人にはその自覚がないので,いっこうに改善しようとはしません。また,よくないと思っていても,改善意欲に欠けた教師はいい訳ばかりをし,責任を果たそうとはしません。
 こんな人たちが,本当に学校に務めていてよいのでしょうか。
 きっと,こんな先生はいやだと,子どもたちも感じているはずです。
 「ダメな先生は辞めてほしい」などと言われないためにも,当たり前のことを当たり前にやらなければいけません。
 そうしなければ,学校教育がその責任を果たせなくなってしまいます。
 自己中心的な子どもを育てたのも,自分勝手なことを言う保護者にしてきたのも,指導力に欠ける先生たちです。
 そんな人たちが,これ以上職員室に増えたら,学校教育は成り立たなくなってしまいます。

******************

 私にとって幸せだったのは,自治体でとにかく荒れていて評判?だった学校に勤務できたことで,さらに幸せだったのは,そこで「子どもの荒れは教師の責任」ということを肌で感じることができたことです。

 一から十までと言ったら失礼かもしれませんが,異動する前の学校の教師と,まるで違っていたことが印象的でした。

 簡単に言えば,私は,「責任感をもっている」「問題を生徒のせいにしない」教師が多く,地域からの信頼があつかった学校から,「責任感に欠けている」「問題を親や生徒のせいにする」教師が多い,地域からの信用を失っていた学校に異動したのです。

 田沼雄一さんの本は,小学校の教師向けですから,中学校の教師向けの内容を少しずつ紹介できたらと考えています。

 ほとんどの内容は,このブログですでに取り上げたことばかりですが,小中との比較もまじえながら,まとめていけたらと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より