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すばらしい「思い出話」に水を差すようで恐縮ですが・・・・

 相手からは拒絶宣言されたので,「あるブログ」としておきましょう。

 子どもの交流を描いた「小中連携」の記事が「再掲」されていました。

 こういう「微笑ましい話」の「ウラ」を読むのがこのブログの宿命なので,お許しください。

 まず,「小中連携」には,管理職間の連携が欠かせないことは,言うまでもないこと。

 ただ,管理職どうしは,お互いの入学式・卒業式に参列しているので,顔見知りであることは当然,教育委員会で顔を合わせることもたまにはあるでしょう。

 大事なのは,子どもどうしだけでなく,教員同士の連携なのです。

 これが,上手くいかないのがふつう。

 いい小学校からは,進学の連絡会で必要十分な情報が上がってきますが,「問題隠蔽体質」「問題を問題としてとらえない体質」のある小学校からは,「それを伝えないで,他に何を伝えるというの?」という話が入学して,クラス編成も終わり,1週間くらいたって,やっとわかったりするのです。

 さて,そのブログで紹介されていた「微笑ましい話」というのは,

 小学校の卒業生=中学生が小学校の校庭に遊びに来て,仲良く小学生とサッカーをしていたという話

 これ,一般の中学校の教師が読んだら,どういう反応が普通なのか,書き手は分かっていないらしい。

 あと,都市部の場合は,一般の保護者が読んだから,どういうふうに思うか,想像はできているのでしょうか?

 私の知っている範囲では,都市部でも郊外でも,

 たとえ卒業生でも,中学生が無断で小学校の敷地内に入り,小学生と遊ぶ,というのは,あり得ません

 しかも,10人以上という人数で。小学校の放課後に。

 驚いたのは,小学校の校長が,中学校の校長に電話をすると,校長は喜んでくれて,全校朝礼で話をすると・・・・・。

 ・・・・これが「小中連携」?

 中学生と小学生が戯れている姿を,職員室から眺めている教員たちというのは,これは何十年か前の地方が舞台の小説の話では?

 中学校の教師としては,下校後,小学校に遊びに行く中学生がいるという情報を聞いたら,まずは特別の配慮をしながら見守っていく必要があると考えます。

 さらに驚くのは,「まちに迷惑をかけている」中学生も小学校に侵入し,・・・・ここからは引用します・・・・

>職員室のものを勝手にさわったり,教員の机の引き出しを開けたりするが,注意するとやめるし(以下略)

 まずは,卒業した子どもが,職員室に勝手に侵入できる小学校であることが問題。

 そして,小学校が「居心地が良い理由」というのが,ストレートにわかる事例です。

 唐突ですが,さびしさを紛らわすように万引きを繰り返す高齢者を見て,この教師たちはどうやって「心を耕そう」と考えてくれるのか,聞いてみたいものです。

 決定的にずれている感覚は,「居心地の良さ」の意味の違いにあるようです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より