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「教師の失敗55」と「指導力不足につながる事例33」

[指導力不足] ブログ村キーワード

 2005年に私がこのブログで少しずつご紹介していた,「教師の失敗55」は次の通りです。

1 面子にこだわり誤りを認めない

2 変化に対応できない

3 表面的な評価をしてしまう

4 葉にとらわれ根を育てることを忘れてしまう

5 失敗を失敗として認識できない

6 準備した計画にとらわれ、最適な判断・評価を誤る

7 「わかったふり」が見抜けない

8 「わかりましたか」と聞いてしまう

9 「頭を使え」と指図してしまう

10 他人の実践のまねをする段階から、実践から学ぶ段階まで到達しにくい

11 自分の経験にとらわれ、変化を恐れる

12 素材のよさを活かせない

13 協力者を得られない理由がわかっていない

14 具体的な目標が描けていない

15 嫌われない努力で不信を招く

16 問いのレベルが伸びる力を奪う

17 口先で褒めていることがばれてしまう

18 子どもの長所をひきだせない

19 「活かす」よろこびを与えていない

20 人にはボランティアを求めるが、自分はしない

21 無知を利用して法令を犯す

22 告発ができず失敗が再生産される

23 「失敗さかのぼりの原理」で責任逃れをする

24 目先の利益を優先する者に勝てない

25 批判に耳を傾けない

26 予言の自己成就を悪用してしまう

27 内容で勝負できない

28 実態からの出発ができない

29 計画や評価のない実践を教育と勘違いする

30 環境の作り手は教師であることがわからない

31 自分が上司に従いたくないから子どもが自分に従わない

32 「命令」も「自己判断」も機能しない

33 自分の余裕のなさを子どもに伝えてしまう

34 問題の早期発見、早期解決を怠ってしまう

35 共通語をもてないがゆえのすれ違いが多い

36 批判を受けないことで信用されていると勘違いする

37 評価されることを極端に嫌う

38 優れた実践を眠らせてしまう

39 「さわがしくない」子どもを「数」に入れない

40 誤認を確信に変えてしまう

41 同じ拒否反応なら無音・無反応型を選んでしまう

42 「独り言」で子どもの思考放棄をさそう

43 目を合わせる自信がないことが伝わってしまう

44 沈黙より発話を選び、思考を妨げる

45 教師が「学習」の主体になってしまう

46 指導という名の命令で動かしてしまう

47 知識に縛られて指導を誤る

48 成功への過信が失敗時の喪失感を高めてしまう

49 苦労して得たものへのこだわりが大きな失敗を生む

50 力を引き出すことよりつけることにこだわる

51 絶好のタイミングをのがしやすい

52 おさめるべきをすて、すてるべきをおさめる

53 「普通の子どもです」と言ってしまう

54 組織的な動きができない

55 ピンポイントアドバイスが苦手である

 内容については,ぜひ2005年の記事をご覧ください。

 さて,2008年11月に出版された,田沼雄一著『若い先生に贈る失敗から学ぶ教師学』(学事出版)では,

 次の33の教師のダメな「事例」が紹介されています。

 本の構成は,「事例→問題点と原因,そして改善点→ワンポイントアドバイス」という形になっています。

 目次から,事例を引用します。

*****************

 授業力向上のために

  事例1 学習がわかりにくい

  事例2 教材研究をしない

  事例3 授業を大事にしない

  事例4 子どもを放任する

  事例5 質問に答えない

  事例6 テストをいいかげんにする

 子どもを的確に指導するために

  事例7 子どもが納得できるように指導できない

  事例8 子どもにあった指導をできない

  事例9 ダメなものをダメと言わない

  事例10 会話のキャッチボールができない

  事例11 くどくどとしつこい

  事例12 子どもと友達感覚

 改善意欲をもとう

  事例13 例年通りが口癖

  事例14 経験だけをたよりにする

  事例15 創造的でない

  事例16 向上心に欠けている

  事例17 「なぜ」を考えない

  事例18 文章が書けない

 社会の常識をもとう

  事例19 責任感がない

  事例20 時刻を守らない

  事例21 八時十五分に来て五時には帰る

  事例22 いばっていたり不遜な態度をとる

  事例23 約束を守らない

  事例24 笑顔を見せない

 自己チューは嫌われる

  事例25 いつも自分のことしか考えない

  事例26 自分だけ話をして人の話を聞かない

  事例27 やたらに校内放送する

  事例28 フットワークが悪い

  事例29 人の気持ちがわからない

  事例30 文句ばかり言う

 保護者と信頼関係をつくるために

  事例31 保護者とコミュニケーションがとれない

  事例32 保護者の評価をこわがる

  事例33 保護者に適切な対応ができない

******************

 こうすれば「上手くいく」という本を読むのもいいですが,「どういう状態が,問題とされる状態なのか,そして,その原因は何か,その解決方法とは何か」というところを少なくとも「知っておく」ことは大切でしょう。

 最終的には,「心構えひとつ」といったところもありますが・・・。

 今回も予告編になってしまいましたが,明日より,事例分析をしていきたいと思います。

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コメント

畑村洋太郎『失敗学のすすめ』は,帯に「いま,個人にも,組織にも一番必要な考え方がここにある!!」などと宣伝文句をつけられて,売れた本です。

学校教育の問題を分析するうえでも,とてもわかりやすい「見方・考え方」を提供してもらいました。

kurazohさん

教育創造学というのは、それこそkurazohさんの創造かと思ってました。
kurazohさんが名付けたのだからそれなりの目指す目標とか概念が有ると
思ってたのですが違った?。
その畑村さんとかの創造学に影響か触発かされて名付けたのですか?。
でもそれじゃー、ちょっと違い過ぎる気がする。
機械は物が相手だし、教育は人が相手だし、
あまり参考にすべきものじゃないのでは?。
機械はデジタル、人はアナログ、違いすぎる気がします。
なんかちょびっと創造学が見えた気がするけれど、うわ~難しそう。。。

真愚さん

 いろいろご要望をいただきまして,ありがとうございます。

 失敗学から創造学へのシフトを実現させたのは,「機械」の畑村洋太郎でしたが,やはり「失敗学」あっての「創造学」という印象が今,本を読んでも強いような気がします。

 「創造」はそう簡単にできるものではありません。

 科学の世界では,新しいことに挑戦して何かを生み出そうとしても,結果は99.7%の確率で失敗に終わる。しかし,そのプロセスはすべてが無駄に終わるわけでなく,そこからさまざまなものが学べるという意味もある。

 そういうプロセスを教育の世界でも味わっていきたいのですが,新しいことへの挑戦を通しての失敗は,教育の世界ではなかなか受け入れられない。
 
 ゆとりは失敗,と言われるけど,実際にはその原因は教師の力量不足にあったということを,実証的に示そうとする研究者などいない。

 今のままではいけないとわかっていても,結局は何もできない。

 自分たちが受けてきた教育が間違いだった,ということを受け入れにくい。

 いろんな壁をつきやぶっていかないと,たどりつけないのが,新しい教育を追究するという道です。

 失敗と創造の間のはてしない溝に,まだまだ戸惑うばかりです。

 失敗が失敗と認識されない現場の状況を打破することが,今でも私にとっては優先課題です。

 同じ失敗が繰り返されている,という認識が教育の世界で注目されるようになって,ようやく次のステップがみえるようになるのでしょう。

ありがと、随分思い切った所に貼ってくれて、
静かにしとこうと思ってるのに、
正直言ってkurazohさんの言ってることはよく分からない。
教育創造学って何だ~、って感じだ。
言い出しっぺはkurazohさんでしょ。
分からないから特に口出しもしたくないし期待も無い。
逆にそれって何って聞きたいところ。
でも聞いても所詮部外者だから分かるとも限らないし。
強いて言えば人間創造学とか生徒成長学とか言うなら教育分野だろうけれど
教育創造学というと字面から考えると教育を創り出すって事でしょう。
システムor機構の問題で教育というより政治分野の様な、
生徒の考慮じゃないのじゃないかな、、っと。

ふと、今windowsの枠を見ていて思ったけど、
「教育の失敗55」と「指導力不足につながる事例33」とあるな、
「教育の失敗55」と「指導力創造につながる事例33」となったら?。


真愚さんへ
 いつもお読みいただきありがとうございます。
 「転機」はいつか。それは天のみが知ることです。
 教育の創造は,個人があれこれ言ってできるものではありません。

 組織を使う教師が生まれるようになって,初めて創造できるものです。

 私などができることは,一生,「失敗学」なのかもしれません。

 創造へのヒントがどこにも隠れていないようであれば,自然と読者は去り,私の独り言の積み重ねとなるだけでしょう。

kurazohさん、こんばんは
私の様な者の言葉を聞き入れて頂いた様で
ありがとうございました。
少々出しゃばった真似をしたかもしれません。
酔狂な事をしちゃったかも、
私んとこの桜の花は未だ散ってないし、今少し酔いが残ってるかも?。
花びらの陰に隠れてちょびっと

学校の連携の話をしていらっしゃいましたが、
失敗学から創造学に軸足移しますか?。
いや、移したら如何ですかと今少し出しゃばろうかと思ってました。
失敗学はもう長くやられて卒業しても良いのじゃないかなと思ってました。
失敗は成功のもとなんて言葉もありますから簡単には卒業できないかもしれないのですが、
この「もと」という言葉が曲者で、
失敗は成功の元だけど
失敗が成功の基じゃない
のじゃありませんか?。
創造学の基は失敗学を修める事とは違うと思えるのです。
そちらに軸足を移されるべきかと思っておりました。

目立たぬ様に陰でひっそりと酔い覚ましでも
天気予報では、明日には風も出て桜も散りそうです。
酔狂ご無礼。

コメントありがとうございます。

小中の相互理解の産みの苦しみだとご理解ください。

子どもために何がよいのかという話には,なかなか正解は見つからないものです。

学校は,いいアイデアが出ても,共通理解なしに見切り発車する習慣はありませんから,結局は何もできない社会です。

「例年通りで」が,一番,心理的プレッシャーがかからない。

でも,そういう教師の姿勢が,子どもにも「伝染する」。

昔はまだそれでよかったかもしれませんが,もうそうは言っていらないだろう,というのが私の立場です。

どこかで何かが変わっていかないと。

昔を懐かしんで嘘の涙を浮かべている場合ではないのです。

kurazohさん、こんばんは

お褒め頂いてありがとうございます。
学校の先生に褒められた事有ったっけな~
それより隣の覗き見しないほうが良いと思うけど?。
失敗学と言うけれど、固有名詞を揚げて失敗を挙げては「学」とは言えない。
それでは非難になってしまうと思う。
あちらにはtさんがいらっしゃるし、こちらには匿さんがいらっしゃるし
干渉無用では?。

真愚さんの,ど真ん中直球をdolceさんは見送って三振?

この渾身の一球には,私がこのブログで言いたかったことのエッセンスが表現されていましたね。すばらしいです。

教師の生徒への言葉かけ一つが,すべてを物語ってしまう。

dolceさんの出方が楽しみです。

頑張ってください。

追伸

dolceさんと子どもとの接点は,吹奏楽にしかないようですね。これを「教育」とよべるかどうかは,塾で教える人に「教育」とはよべないとdolceさんが言っていたのとミラー状態になっています。

そして,真愚さんのコメントにあの程度の投げやりな回答しかできないのが,dolceさんの特徴なんですね。

ちょっと多すぎるのと違う?
人間って1度に幾つ仕事が出来るかな。
聖徳太子は7人の意見を聞いたと言うし
オーケストラの指揮者は幾つの楽器を聞き分けてるのか知らんけど
学校の教師は幾つの仕事をしなくちゃいけないんだろ?。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
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  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より