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記載ミスは通知表だけですんでいるか?

 神奈川県では,「通知表の記載ミス」根絶に向けて「ダブルチェック」を促すなど,各学校に指導をしているようですが,効果はなく,ミスが繰り返されているようです。

 コピペのミスなど,「手書き」でやっていたころには起こらなかった問題が,コンピュータが活用されるようになって増えてきました。

 コンピュータの利用は,「省力化」「効率化」の目的で進んでいるため,成績のミスというのは,そのための犠牲として生まれた問題だということもできます。

 成績に関して繰り返されるこのようなミスが,家庭への通知だけですんでいるなら,まだまし,と言うことができます。

 問題は,入試のときにも,高校へ提出する書類にミスがあるのではないか,という家庭の不信をどう払拭できるかでしょう。

 企業なら,見つかっていないミスがないかどうか,徹底して調べるでしょうが,手抜き天国の学校では,苦情や相談が寄せられない限り,何もなされないのでしょうね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より