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私が教育失敗学のブログを続けている理由

 『心理テストはウソでした』という本の冒頭に書かれている著者の言葉に,私は強く共感してしまいます。

***************

 ・・・・企業の人事部は膨大な金額を支払う必要があるし,テスト業者は膨大な金額を手中に収める。

 一方,企業側は人材の判定作業をテスト業者に外部委託しているので,テスト結果がどの程度正しいのか,真剣に考えない。責任逃れできる利点もある。もちろん,テスト業者はテストの弱点を覆い隠し,利点だけを宣伝する。かくして,膨大な金が循環し続ける。
 
 もし,私が会社の社長なら,心理テストの性能評価を行わせるだろう。有能な社員が選別できるという証拠がない心理テストはすべて廃止する。有害無益である。これでかなり経費の節約になるだろう。もし,有能な人材が発見できるという心理テストがあれば,それを採用するだろう。優れた人材が獲得できれば,利益は・・・

***************

 なぜ人々は,インチキな情報を信じてしまうのか。

 イギリスの心理学者ファーナムとスコーフィールドが1987年に発表した内容の一部が引用されていたので,その中のまた一部を紹介しますと・・・・・

 理解しやすいのは,
 
○権威主義的な人,他人からの承認欲求の強い人は,だまされやすい。

○心地よい内容であれば,偽の情報でも信じやすい。

○心理的な援助を求めている人は,不安が高いので,どんな内容でも信じてしまう。

 という内容です。

 情報の中には,もちろんインチキではないものも含まれていると思いますが,私が読んだ本の中は,タイトル自体がインチキくさいのに,おそらくそのタイトルに引き込まれて買ってしまう人が多いんだろうなというものがあります(過去に紹介していました)。

 私が教育失敗学のブログを続けている理由は,

 弱い人が,自分の不安を紛らわせるだけの目的で,「心地よい内容」「励ましてくれる内容」を読みたい,というのであれば,利用価値がある教育ブログは他にたくさんあるでしょうが,

 弱い人が,単なる心理的援助を求める目的や,不安を和らげる目的で教育に関する情報を集めるだけでは,「弱い」原因となっている根本的な資質・能力が解決されることはまずあり得ないので,その根本の部分を直視して,「不安がますます高まる」結果になっても,それが実は「正しい反応」であり,「弱さの自覚」から出発しないと,教師としての「強さ」を身につけるためのスタートラインには立てない,と考えているからなのです。

 自分にとって「役立つ」知識は,「自分の目先の安心」ではなく,「子どもたちの将来の安心」のための知識である,と考える人に,ぜひとも教員になってもらいたい,そして,そのために,このブログを「役立てて」いただきたいと願っています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より