ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 記載ミスは通知表だけですんでいるか? | トップページ | 全国学力調査もよいですが,・・・ »

「おかしくなった小学校」の実態を教えてください!

 toshiさんは,相変わらず焦点ボケで,お答えがしにくいのですが,

 私が見ているのはごくごく単純なことです。

 「心からの叫び」は,15歳の思春期の子どもを形容するくらいにとどめておきましょう。

 大人なら,叫ぶ内容を冷静に判断して言葉にしてください。


 与えられた条件を最大限に生かして,指導力を発揮できているかどうか。

 自分の指導力を棚上げして,環境のせいにしたり条件のせいにする人間たちが,

 50代すぎの教師には特に多いでしょう。

 簡単な話。文句を言っている暇があるなら,やるべきことがいくらでもある

 何も知らない「おやぢ」さんよりはましですが,文章全体から漂ってくるのは,「部外者のにおい」なのです。

 どうも,「当事者意識」が感じられない。

 だから,ほとんど読む価値を感じなかったのです。


 小学校教師の中に,定時で帰るための技術を本にしている人がいます。

 小学校をさっさと出て,その足で,自分が育てた子どもが汗を流している中学校に出かけて,一緒に参加したり,帰り際に教科の話をしたり,・・・・そんな教師を増やそうとするのであれば,私も賛成。 

 でも,そういう人が地域の学校に自然に増えていくとは思えない。

 小学校教師は,15歳の子どもたちには寄り添わない(寄り添えない)

 ここが最も残念なところなのですね。
  
 実態が分かっていないので,「迷惑な養護教諭」みたいな騒ぎ方をする。

 しかし,小中一貫校になると,いろいろな可能性が生まれてきます

 中学校にも自由に出入りできるようになると,どこでどのような苦しみ方をしているかが次第に見えてくるでしょう。

 そこで初めて,見えてくるものがある。

 できれば,どの段階にその「苦しみ」の芽があったかに気づいていただきたい。

 教師の方には,「小学校段階で,ここまでの力はどうやっても身に付けさせないといけない」という自覚が芽生えてくる。

 中学校側が,必ず出てくる問題の芽を早めに摘んでしまおうとして,小学校教員からみれば,「強い指導」に出ていくことはあるでしょう。

 中学校でいう「初期指導」だけでは不十分になってくると,どうしても「事前指導」が必要になってくる。

 おそらく,そういったところで小中の軋轢が生じていることが予想されます。

>小学校に中学校の教員が来るようになってから、小学校がおかしくなったと言っているのだよ。

 「小学校が」という発想でいる以上,その教員ができる仕事は「ただの小学校教師」の仕事でしょう。

 なぜ,「ただの小学校教師」から脱皮することができないのか。

 私のような者だけでなく,小学校の「学級王国」という「無法地帯」に接したことがある大人は少なくないでしょう。授業参観なのに,自習。授業中なのに,携帯ゲームに夢中。遊び道具は,持ち込み放題。チャイムが鳴っても,授業が始まらない(まだ外で遊んでいる)。教師に気づかれないでいじめをする手段の巧妙化・・・・。

 そのような「無法地帯」が「小学校」内にあることを放置し,自分は自分,そのクラスはそのクラス,という態度で好き勝手できるのは,「出口の力を保障する」という責任感をもたずにすんでいるのが最大の理由です。

 「出口の力まで責任を負わなければならない教師」になることで,小学校教師の何が変わるのか。

 それとも,あくまでも責任を回避して,「小学校」に埋没していくのか。

 中学校の方の問題は,今までどんぶりからこぼれ落ちるくらい書いてきましたが,まだまだ必要ですか。
 
 具体的に,小学校教師が一貫校ではやっていけない理由を教えていただけますでしょうか。

 できるだけ焦点化を図っていただきたいと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 経営ブログ 仕事術へ

« 記載ミスは通知表だけですんでいるか? | トップページ | 全国学力調査もよいですが,・・・ »

教育」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

自分で演奏ができる人(dolceさんの言葉を使うと,実践がある人)の言葉もいいのですが,こういう人の言葉って,けっこう人によって違ったりするのですね。

私は野球をやっていたのですが,ゴロの取り方一つとっても,バッティングフォーム一つとっても,みんながみんな,同じことを言うとは限りません。

元広島の衣笠選手は,コーチはみんな好き勝手なことを言うので,かえって調子をくずしてしまった,と言っていました。

そういう「玄人」の助言は,「素人」には通じなかったりする。

だから,実践していた人,というのが,必ずしもよい教育実践ができるとは限らないのです。

あと,私は以前も申し上げた通り,dolceさんのブログには書き込みができません。

dolceさんの問題は,今では「私の主治医は左巻き」さんが担当?してくださっています。

kurazohさん、こんちは

何かでかでかと張り出されて恥ずかし、(:。。)

>そのうち,突っ込みどころ満載の記事がまた登場するでしょう。
>もうその役割は真愚さんにお任せしてもいいのかもしれませんが・・・・。

え、そりゃー止めとこ。
ひょっとすると儂、dolceさんに怒られてるかもしれんから、近寄るまいかと思ってるところ。
突っ込み役はkurazohさんにお任せしますよ。
どうせ突っ込むならあちらに乗り込んで突っ込むのが良かろうかと思うのですがしないでしょう?。
叱られてるなら近寄っても大丈夫かなと思うけれど、怒られると近寄りたくはないな。。。

dolceさんは,またボロを出してしまいました。

dolceさんの言う実践は,記事を読んでわかったのですが,これは「自分はできる」という意味で,「子どもにできるようにさせる」という意味ではないようです。

教育実践という意味ではなかった。

匿名のブログなのに,いきなり自分の演奏している姿をアップするなど,考えられないことをしたのは,「俺はできるぞ」ということを示したかっただけなのですね。

そのうち,突っ込みどころ満載の記事がまた登場するでしょう。

もうその役割は真愚さんにお任せしてもいいのかもしれませんが・・・・。

「教育の窓・ある退職校長の想い」に,けっこう強い姿勢で制度を批判する記事がありました。私は教育関係者のダメさ加減を具体的に指摘しているつもりですが,こういう焦点が定まっていない批判というか不平不満を読むと,なんだかスルーできなくなるんですね。

「おやぢ」の方は偽情報を垂れ流してるし,責任をもたないですむ世代には何とか学習能力をもってほしいと訴えていきたいです。

脳には臨界期という時期があってその時期に身につけておかなければ生涯修得するのが難しくなる知識というのがあるようです。

その時期こそが小学校時代にあるようで、その時期を逃して修得しようとしてもなかなか身につかないということらしいです。

ゆとり教育というのが発案者「寺脇研」による日本への破壊活動では無いかと疑いたくなる側面があります。とにかく、理科と数学(算数)をメチャクチャにしようという陰謀です。

算数が脳の臨界期にまともに達成できていないと、論理的に物事を話したり説明したりすることがとても難しくなります。

これは何をもたらしたかというと、「学力格差社会」です。
ゆとり教育によって破壊された学力を補うことが出来る裕福な家庭だけが学力を身につけたともいえるのです。

小学校の教師にしてみれば週休完全2日制と、苦手な理科の指導から(教育学部は理科の実験とかまともにやっていないか全くやっていない)解放され大喜びしたわけです。

原発事故があっても放射能、や放射線についてまともに教えられない小学校教師が大多数を占めています。どう見ても危険な原発を安全だと言い張るのには子供の頃から知識を丸ごと皆無にしておくためだったのかなとも思えます。

私の子が小学校の時JCOの臨界事故がありました、本当のことを教えるとすごく怖かったみたいで、実のところ失敗なのかもしれませんが、政府の言う大嘘は信じては駄目、そういうときは最低50Km以上は離れた場所に避難しなければ安全とはいえない。中性子線が飛んでくるということを教えました。放射能の場合は放射性物質だから風向きで避難地域が動的に変わります。そういうことも教えたつもりです。

ゆとり教育を受けたので大学に進学したとき、特に小学校で数学(算数)の問題を決められたやり方でしか回答してはならなかったことがすごくマイナスだったと言っています。

大学進学後、いきなり回答方法の枠を外され相当苦労したようです。自分のやり方でレポート提出しても大丈夫なのかということでそうとう恐怖心がでたみたいなのです。

あれ、kurazohさんがバトルしてるのはdolceさんだけかと思ったら
toshiさんともしてるの?。
忙しい事ですね。
誰?。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「おかしくなった小学校」の実態を教えてください!:

« 記載ミスは通知表だけですんでいるか? | トップページ | 全国学力調査もよいですが,・・・ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より