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dolceさんの解決不可能な疑問集 ~そこに「問い」は存在しない~

 dolceさんのようなタイプの人にとっての「疑問」とは,「問い」にはなっていないので,永遠に解決不可能な問題なのですね。

 もう,すでに解決されていると言ってもよいのでしょう。

 私の「頭がおかしい」わけですからね。

 なぜ,教師は世間知らずと言われるのか~実例

 という記事でも,汚職にあたる教員のコネ採用はいけないのだ,ということは私を含めてだれでもわかった上で話をしているのに,「教員の指導力の問題」については自分自身で何も考えようとはせず,こちらの記事も読まず,ただ「非難したい」,もっと直接的に言えば,「卑下したい」という一心でひたすら記事をつづっていく。

 「相手を馬鹿にする」気持ちの表れが,刺激的なタイトルの本の表紙の画像です。

 その本からの引用が示されているわけではない。

 虎の威を借りる何とかです。

 私の紹介の仕方もただ「頭のおかしい人」だし,私の文章も,引用の対象も明示していないので,誤解が増幅されるようにしかけている。

 これがdolceさんの正体です。

 現場の教員の苦悩の解決をテーマにしているように見せかけて,内実は・・・記事を読めば分かる通り。

 現場で起こっている問題を,「なかったこと」にはできない。

 しかし,dolceさんは,指導力不足教員の問題に全くと言っていいほど「正対」しようとしない。

 教師が「世間知らず」と言われるのは,こういう姿勢のどこが悪い,という態度を頑なに変えないことも原因の一つなのです。

 指導力に課題がある教員は,大量採用になると,50歳代だけでなく,20歳代でも増えていくことが容易に予想されています。

 そこで,繰り返し私も述べていますが,「コネ」の合法的・有効的活用を考えるべき,という主張を無視した非難をdocleさんは延々と繰り返しているわけです。

****

 記事に羅列されている「疑問」も,別に解消したいと思われている節は見当たらないのですが,「疑問」と聞くと,一応,お答えしなければならないと思うのが教師の性で,困ったものです。

 長くなると思いますが,お答えします。
 
 斜体は,dolceさんが引用した私の言葉太字は,dolceさんの疑問です。

 では,始めます。

******************* 

>もう一つは,学校現場は,本当に指導力のある教師を強く求めていること。

【疑問】
1.そのための採用試験じゃないのか?

 学校現場で指導力が発揮できるかどうかを,ペーパーテストと面接,短時間の模擬授業,指導案の作成で見抜こうと思っても,なかなか難しいのです。

 特に,授業は50分で形にするもので,短時間の模擬授業では,構成力,対応力を見抜くことができません。

 面接官=大人の前でははきはき答えられる人が,子どもの前で,おどおどしてしまう,こんなケースもあります。

 教師の指導力というのは,現場に立って,どんどん磨かれていくものです。

 しかし,経験を重ねていくうちに,情熱を失って,どんどん「投げやり」「いい加減」「手抜き」の指導が見られるようになる教員がいます。

 免許更新講習のように,10年に1回,勉強すればよい,というのも,いかにも間隔が開きすぎているような気もしますが,何もしないよりはまし,といったところでしょう。

********************

>このことから,極論ですが,コネがある=信頼できる人物のお墨付きがある人物で,そのことがあるいは合否に有利に働いて,採用試験に受かり,期待どおりに指導力を発揮する人物の方が,「ミスチョイス」した人物よりも子どものためにはなるだろう,という考え方が生まれているのです。

【疑問】
1.どこに、そんな疑問が生まれているのだ?

 「そんな疑問」が何を指すのか,よくわかりません。

********************

>「それはおかしいぞ」という意見があるのは当然,わかりますよ。
しかし,「採用試験を通っているのだから・・・」という言葉に何の説得力もないことは,教師はともかく,子どもを学校に通わせたことがある親なら,わかることでしょう。

【疑問】
1.そんな説得力のない採用試験をなぜやるのか?
2.「親ならわかる」って根拠はどこにあるのか?

 教員採用試験は,半分は,公務員試験なんですね。法律等に関する知識が絶対的に必要です。でも,教科に関する学習ばかりやっていると,ここがおろそかになり,合格できません。

 一方,法律等に関する知識ばかりを詰め込んだ人は,一般の公務員は務まるかもしれませんが,教員として「指導力を発揮してくれるかどうか」は,なかなかわからないのです。

 「親ならわかる」っていうのは,学級崩壊をはじめ,「指導力不足の教員」を学校で目の当たりにすることができる存在だからです。

 「採用試験を通過したすべての人が,信頼できる,指導力のある教師だ」とは言えないことは,
 
 実際に報道されている範囲だけの,

 教師による 交通事故・性犯罪・セクハラ・情報管理の甘さ

 等で 明らかです。

 小学校では,担任の「あたり」「はずれ」という呼び方があるのは大昔からでしょう。

 特に大量採用になっている東京都の小学校では,親は「心配」なのですね。

 実際に子どもが指導を受けてみて,子どもの成長を通して,教師の指導力のあるなしは判断されていくのです。

 私が実際に授業参観で目にした驚きの光景を紹介したいところですが,長くなるのでやめておきます。

********************

>現実問題として,教員採用試験で「教員として適切な仕事がこなせるとは考えにくい人」が合格しており,その見直しは「大量採用の時代」を迎えるにあたって,絶対に欠かせないことなのです。

【疑問】
1.「『教員として適切な仕事がこなせるとは考えにくい人』が合格しており」とは誰の判断なのか?
2.「見直し」とは誰の考えか?

 一番わかりやすいのは,指導力不足教員の決定ですね。まず,子どもが判断できます。親も,授業をみればわかります。校長も副校長も,同僚の教師も,わかります。教育委員会の人間もわかります。

 教員採用のあり方に関する見直しは,多くの教育委員会が取り組んでいます。調べればすぐにわかることです。

********************

>採用試験への合否を左右するものが何であるか,dolceさんはわかっていません。
それは,dolceさんが一番嫌っているものなのですね。

【疑問】
1.「わかっていません」の根拠は?(他人の頭の中がわかる超能力を持っているのか?)

 学力について述べたご自分のブログを読み返してみてください。

 わかっていないことというより,わかろうという気がない人には,難しい問題かもしれませんね。

********************

>要は,ペーパーテストができること,これでまずはじかれてしまう「優秀な人材」がたくさんいる。

【疑問】
1.それは如何なる根拠から言えるのか?

 学力について述べたご自分のブログを読み返してみてください。また,ご自身が書かれている今回のこの「疑問」の中にも,その答えは登場しています。

********************

>これは,とても多くの非常勤講師の先生に接してきた私は,はっきりと断言できます。

【疑問】
1.勝手に断言するのは勝手だが、あなたのその判断に「普遍性」があるのか?

 ペーパーテストではじかれてしまう「優秀な人材」がたくさんいることは,倍率が高い地域であればあるほど,その可能性が高くなるでしょうし,「優秀な人材」の定義次第で,「普遍的なこと」と言えなくもないでしょう。

********************

>「早く合格してほしいな」という人がたくさんいます。

【疑問】
1.それは、あなたの勝手な願望ではないのか?
2.合格して欲しいと思うのは、人によって判断が違うのではないか?
(あなたが合格して欲しいと思っても、他の人から見たら違うかも知れない)

 「勝手」かどうかは私ではなくdolceさんが判断すべきことで,私の願望であることは確かです。合格してほしいと思うのは,人によって判断が違うのではないか?・・・・という私を非難したい言葉で,dolceさんの本性が暴かれてしまうのですね

 これをご本人が気づけないのがdolceさんらしいところです。

 双方向からものが見えないと,dolceさんのような「失敗」を犯すことになるのです。

********************

>そして現場の学校内を見れば,「こんな人でも受かっているのに」という教員がいる。大量採用の時代の人がすべてとは言いません。

【疑問】
1.何ですか、この国語は?
こんなレベルで教員は務まるのですか?

 なつかしい攻め方ですね! やはり昔のままのdolceさんでした。

 大量採用の時代の教員は,デモシカとよばれ,評判が悪い,というのはdolceさんもご存じでしょう。

 指導力不足教員の多くがこの世代の教員です。

 倍率が低ければ低いほど,「本当は合格させたくない人」でも「合格させなければならない」という事情はおわかりになるでしょう。

 でも,「こんな人でも受かっているのに」と思われてしまう指導力不足の教員は,すべてが大量採用されたときの教員とは限らない,ということです。

********************

>教員採用のあり方,そして,現職教員の指導力不足の問題,これに対する多面的な解決方法として,現場でかなりの経験と実績を積んでいる人物,あるいは特定の分野で非常に大きな功績を残した人物などを,積極的に登用するような採用のあり方を,民間人登用と同じように進めてほしいという願いがあるのです。

【疑問】
1.そういう「願い」と「コネ採用」とどういう関係があるのですか?

 他の記事でご説明いたしました。

 信頼のある人物からの,具体的で信憑性の高い推薦文を考慮に入れる,なんて岩波書店のようなことをすれば,「プレ採用試験」のような動きになる・・・・あくまでも例ですが。

********************

>「仕事のできる人」であるかどうかは別として,

【疑問】
1.教員の採用は「教員としての仕事のできる人」を求めるのではないのか?

>私は「裏方」に甘んじている,力もあれば,情熱もある,そういう非常勤講師を知っているのです。

【疑問】
1.それと「コネ採用」とどういう関係があるのですか?

 もともとのdolceさんの記事のタイトルは,

 「仕事のできる人は裏方を知っている」だったのですね。

 ここでは,私から,「裏方」のような立場で活躍している非常勤講師の先生の話をしようとしたのです。

 私自身が「仕事のできる人」だから,と言うわけにはいかないので,「別として」という表現になったのです。 

 そもそも,dolceさんの記事は,タイトルと内容に関連性がありませんね。

 だから,どのような記事に対して私がコメントしているのかがわからないのです。


 ところで,優秀な非常勤講師の勤務先は,それこそ「コネ」が大きく物を言います。

 いい先生の情報を他の学校に流せば,とられてしまう,と危惧する学校は内緒にするし,余裕のある管理職は,他の学校から相談があったときに,「いい先生がいるよ」と紹介できる。

 こういうのも立派なコネですよね。

 これが,採用の条件の中にも含まれてしかり,という考え方は,実際に「1次試験免除」という形で現実のものになろうとしています。

 合法的なコネです。こういうのが広がっていけば,採用試験の信頼性が高まるかもしれませんね。

 ただ,コネがない人=自分を優秀だと認めてくれない管理職にしか出会わない,か,実際に優秀ではない人,は,採用で不利になります。

********************

>指導力があり、かつ教師としてふさわしい人が漏れてしまうような試験はおかしい。
>そんなおかしな試験をやっているのだろうか? といって,教員採用試験の内容も,倍率も,何もわかっていない人が,簡単に教師になれた時代ではないのです。

【疑問】
1.「何もわかっていない」という根拠は?
(他人の頭の中がわかる超能力があるのですか?)
2.また、それらのことと「コネ採用」と何の関係があるのですか?

 正確に言えば,「何もわかろうとしない」ということですかね。

 とにかく,採用試験は「指導力のある教師を採用するための試験だ」という原則論しか目に入らず,現実がわかっていない人には,理解不可能なことです。

********************

>ご自分がさんざん記してきた「テスト」についてのあれこれが,単に人を非難するためだけのものだったことが,こういう場面で露呈してしまうのですね。

【疑問】
1.「露呈してしまう」とは、具体的に何を指しているのか?
2.「テストについてのあれこれ」とは何のことか?
3.その「テストのあれこれ」と「人を非難すること」と、どのような因果関係があるのか?

 dolceさんご自身の記事を振り返ってみてください。

 dolceさんが得意のフレーズを使っているとき,ご自身の思考は完全に停止しています。

 相手をけなしているとき,それはご自身をけなしているのと同じことなのです。

 だから,ミラー現象と呼んで,何度もお知らせしているのに,「気づこう」という努力をなさらない。

 最新の記事でも,dolceさんの場合は,ご自分が「世間知らず」と思われてしまうようなことを書かれていますね。

 「世間」というのは,どれだけ,矛盾に満ちた場所なのか,それがわからない人間が「世間知らず」とよばれる面もあるです。

 ヤミ米に手を出さず餓死した人は立派とも言えるし,「世間」から見れば「変人」とも言えるのです。

 dolceさんは,「対等に話をする相手」を「相手の態度」によって選んでいますね。

 それが自覚をもった行動なのか,無自覚になされているのかはわかりません。

 言葉のどの部分をとって説明してみても,意図を隠す態度は見え見えです。

 ですから,その場所を示してみたところで,ご本人は白を切るしかないのでしょうね。

*******************

 長い時間,お付き合いいただいた皆様,お疲れ様でした。

 こういう電話対応が現実のものとしてあるのが,学校という現場です。

 そのお相手をするのは,多くの場合,副校長なのです。

 教育委員会では,指導主事です。

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コメント

真愚さんは,dolceさんの方に少し踏み込んでいただいたようですね。

dolceさんは,「自分の敵」と感じると,急に態度が変わるのでわかりやすい人ですよ。

都合が悪くなるとすぐ沈黙するし。

もう記事にする気もありませんが,

「採用試験に合格した指導力のない教師よりも,コネ採用の指導力のある教師の方がいい」という私の「気持ち」をdolceさんは全く汲み取ろうとしていません。

どうやってなったかというのは問題じゃない・・・・というメッセージを強めるために,こういう語法を使うということが理解できない・・・というか,あえて理解しようとしないのがdolceさんなんですね。

この1文を読んで,「犯罪をすすめている」と普通の人は思いますか???

私が,採用試験をやめて,コネで採用してしまおうと主張しているように思います???

「どうやって選ばれたかなんて言う話はどうでもいい」

「指導力のない教師は困りものだ」「指導力のある教師が必要だ」

というメッセージは伝わらないのです。

というか,受け止める気がないのですね。

ここを無視するためにとったdolceさんの作戦は,

「指導力のない教師はだれがどう決めるのか」「指導力とは何か」なんていう態度です。

教育実習生よりもひどい・・・・「情熱をかける」という点では,教育実習生みたいな立場がベテランより有利だという点はあるでしょうが・・・・授業って,真愚さんは経験したことがありますか???

本当に「この世のものとは思えない」ような授業ってあるんですよ・・・。

真愚さん,冷静なコメントありがとうございました。

あちらのブログの趣旨は「教育に情熱をかける教師のため」ですが,

こちらのブログの趣旨は,「失敗学」ですから。

どうぞお許しください。

これ自体が「失敗」ですから,真愚さんがおっしゃることはその通りです。

二人とも変ですよ。
隣同士の教室で、お互いの教室には立ち入らず、
聞こえよがしに声張り上げて、
はたまた聞き耳立てて、
相手の声を針小棒大に煽り合い、
非難合戦してる様な。
教室の生徒は、先生の言ってることが分からず
何言ってるの、変だよ、と思うよ。
他教室の事に気を使わんでも良いのと違う。
それって教師の性ですか?。

真愚さん,わざわざお問い合わせいただいたのですね。

そのおかげで,ばれる嘘でも平気でつく人の正体がまたばれてしまいました。

>こちらは、アクセス制限はしていません。
>勝手に思っているだけでしょう。

今は解除したんですかね。証拠さえ残さなければ,どんな嘘でもつく,という人がいますが,証拠も残っているのに嘘がつけるのはこの人らしいところです。

>向こうはどうしているか、わかりません。

今年の1月1日にコメントをもらったばかりです。それ以前も,アクセス制限は一度もかけたことがありません。
本人は知っているはずです。

昔から変わらないdolceさんらしさを引き出しただけで満足するのはちょっといやらしい気もしますが,もう少し「注目」されることを期待したのに,そうならなかったのが心残りでした。

「頭のおかしい」なんて言葉をタイトルに2回も使わないと,注目されにくいのですかね。

kurazohさん、こんばんは、

素敵でした?。
でも素敵なんて言葉は黄色い声と一緒に聞くと喜んじゃ似ますが
野郎に、、、、はて、何処かで同じパターンが、
いつからノゾいて、、、モトイ、覗いていたのかな。。。
でも、ま、よろしく受け取っちゃいましょう。
暇人だから、

真愚さん,ご訪問ありがとうございました。

こちらはぼちぼち続けています。

あちらのブログの3月31日のコメントは素敵でしたね。

「頭がおかしい」私は書き込み禁止なので,感想が言えませんでした。

「世間知らず」の意味が分かっていない人が書く記事はおもしろいですね。

またお暇でしたらご訪問ください。

こんばんは、kurazoh さん
お久しぶりです。覚えてないかも?。
日教組のおばちゃん教師は元気かな。
dolceさんとこから来ました。

昔より少しホットかウォームになりました?。
訳の分からぬ議論に首を突っ込む酔狂ではありませんが
昔の知り合いにはちょっとご挨拶くらいは、m(^^)m

テストは,出題者側の意図が知られてしまうと,(嘘をつかれたりして)適正な結果が得られない,そういう課題があるのはだれでもわかることですよね。

学校現場は,使命感のある人,協調性のある人,向上心のある人をとりたいですよね。

で,使命感のある人は,こういう行動をとる,などという「模範解答」を知っていると,それを話せばいいわけであって,実際にそういう行動をとれる人かどうかはわからない,というのは明白です。

こういう「模範解答」ばかり教えている大学があるのは悲しいことです。

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た [単行本]
村上 宣寛 (著)

↑この本おもしろそうです、まだ読んでいませんが、、ロールシャッハテスト、YG性格テストなど疑問のある「古来」からのテストについて書いてあるようです。
教員の採用試験、大企業の採用試験とかにかなり古くから使われています、間違った採用をしてしまうツールといえるかもしれません。
(解釈をねじ曲げたり、適当に嘘の回答をするなどで本当の姿は偽の姿に変わると以前から思っていたテストです)

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より