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ニュースがないときのニュース=教員の不祥事

 テレビのニュースを見ていていつもため息をついてしまうのが,

 「ニュースらしいニュースがないときのニュース」

として,教員の不祥事が報道されるときです。

 いくらでも「ストック」があって,重要なニュースがないとき,いつでも出せるようにしてあるもの。

 何とも情けない話です。

 例の「競艇場で通知表」の先生は「依願退職」したそうですが,それを聞くと,「ふだんから問題を起こすようなタイプの先生ではなかったんだろうな」と改めて自分の直感を信じたくなってきました。

 教員バッシングが激しい時期だったら,今度は「退職金は受け取るのか」などという激しい意見が起こってもおかしくないかもしれませんが,日本ではそういう教師の行動に「熱心な先生なんだから許してあげて」という声があがるであろう「ゆとりのある社会」なので,「異動ですます」という選択肢もあったはずなのです。

 今日のニュースの中では,「遅刻が多い問題の校長」が紹介されていました。

 その事例については,背景など詳しい報道はありませんでしたから何もコメントできませんが,「校長がいなくても何の問題もない」のが「よい学校の条件である」という話が教員の側にある一方で,「管理職は何のために存在するのか」が一般の方=生徒として,校長や教頭,副校長への印象が少ない方々にはよく理解されないのも問題かなと考えています。

 おそらくどの「田舎」でも,現在の50歳代がいなくなる10年後には,「管理職人手不足」の問題がおこってきます。

 一応,東京都の場合はそれを見越して,「管理職候補者」に対する研修を強化してきましたが,やはり倍率が下がると厳しいようです。

 研修で身に付く部分以上に,教育管理職の場合は,「人望」というものや「戦略的思考」が重要になってきます。これは,なかなか「教えられるもの」ではなく,「学べるもの」でもない。

 いつの間にか,「身に付く」ものです。

 それは,どの人にも平等にやってくるチャンスではない。

 私の経験から申し上げれば,一定規模以上の学校で,学年主任の補佐として仕事をしっかり理解しながら実践してきて,成果を上げた人,でなければ,「よい管理職」になるのは難しいでしょう。

 信念が全く異質な労働者集団も,「一緒に仕事をしている」感覚がもてた人でないと,「よい管理職」はつとまらないのです。

 教育管理職の「正しい」仕事,「上手な」仕事とは,いったい何なのでしょうか。

 ニュースでは,不祥事のときに「頭を下げる人」,という印象しかない,あの人々。

 機会があれば,考えてみたいと思います。

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コメント

管理職の仕事は、
部下を育てる事が一番重要です。そしてやる気を無くさせないこと、やる気は子育てと同じで、やる気をつぶす行為が一番駄目で、望んでいる方向と少し違っていてもへし折らずに軌道修正を自分で行えるように誘導するのが良いでしょう。

その次は予算云々の管理ですが、事務方は全てどの学校にもいますから、要求された予算の調整、そして必要な予算をきちんと説明できることであって、決して不思議なやりくりをすることでは無いということです。

そして最後に、目標の適切な設定です。目標というのはそれぞれの人に対して違うのが当然で、全体目標=不登校解消なんてやったところで、それじゃ具体的に何をすれば良いのか判断に迷うはずです。管理職が命令するだけではなかなか人は動きません、個別に適切な付加を踏まえた上でそれぞれの人にかなり努力すれば達成可能な個別目標にかみ砕いて与えます。抽象的で漠然とした目標で、部下の前で凄んでみせるような人では(パワハラ)馬鹿にされるだけです。

あまり関係ないかもしれないけれど、研修で出張の時は何を見てきて何を学ぶのか、個別に予習復習に付き合う必要があると思います。夏休み以外では授業時間の調整も必要でしょうね。

上記のような簡単で当たり前のことが全く逆に行う校長というのは実際そういう人の方が多いと思います。(多いかどうかは確かめていない)

要するに子共に対する教育から部下に対する教育という事になるでしょう。
可能なら、反日のマインドコントロールを説くことも必要でしょう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より