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学校からウィンドウズが消える日

 アンドロイド・タブレット端末が2000円で買えるような時代になった(インドでは昨年10月に発売開始)ときのことを考えると,学校での教室の学習はどのように変わってくるでしょうか。

 生徒の机は,天板を上げると三面鏡のように開いて3つのディスプレイが現れ,手元のタブレット端末の操作を通して必要な3種類の画面を開くことができるようになります。

 ウィンドウズは,限られた面積のディスプレイを想定したソフトのつくりですが,ディスプレイがたくさんあれば,重ねずに作業をすることが可能になる。

 操作性としては,タッチパネルの方が格段によいので,基本操作はタブレット,拡大画面が正面に,手元にはキーボード,左右には教科書や資料集,他の生徒が参照している画面などを見ることができる,そんな環境になっていくことが考えられます。

 正面のディスプレイの上にはカメラが付いていて,よくわからないで困っている生徒には,別の生徒が説明に訪れることができる,そういうこともできます。

 机を動かして,みんなで話し合い,という原始的な方法もいいのですが,グループが固定化すると思うように発言できない子どもも出てくるため,いつでもだれとでも話し合いはできる方がよい。そんな環境ができあがる。

 電子黒板は,大きさの問題も含めて,後ろの生徒が見えにくい,そして黒板だけに,教師が書いているとき,操作しているときは,生徒の様子が見えない,などの問題があります。

 これが,手元のタブレット端末で内容を示せて,追加の項目を書けて,参照箇所から資料に直接とんでいくなどの操作ができれば,子どもの方を向きながら授業を進めることができる。

 教室の液晶ディスプレイの大きさも,60型に近づいてきており,40人学級なら,プロジェクターが必要ない見やすさになっています。

 アンドロイド・タブレット端末での利用を想定した「電子教科書」が,これから増えていくでしょう。

 ウィンドウズパソコンが授業現場から去るのも,そう遠い日ではないかもしれません。

 そういう危機感を一番強く抱いているのは,マイクロソフトの人なのでしょうか。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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