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保護者を「色分け」して考える教師

 小学校の教師というのは,「学級」という「王国」単位でものを見るのが定着しているせいか,

 子どもたちの親をひとまとめにして,

 「今年の」保護者がどうとか,

 「去年と比べて」どうとかが気になるようですね。

 教育というのは,

 「学級」という単位ではなく,「子ども」一人一人に目を向けて仕事をすることが,最大の「攻略法」のはずです。

 そもそも,親が

 教育に熱心か,熱心でないか

 は,何を根拠に決めているのでしょうか。

 経済的に裕福か,そうでないかの

 線引きは,何をもってするのでしょうか。それに何の意味があるのでしょうか。

 小学校の学級担任というのは,

 年ごとのこうした「保護者のカラー」で「攻略法」を変えているのでしょうか。

 「カラーに合わせた柔軟な学級経営」とうのは,

 学級だよりを頻繁に出す出さないという変化のことを言っているのでしょうか。

 根本的なところがずれています。

 こういうボタンの掛け違えのような現象が,どうして起こるのかが私の関心の対象です。

 王国の中心にいる小学校教師は,保護者に依頼しているアンケートが,自分に対する「評価」だと勘違いしていますね。

 そもそも「評価規準」が定まっていないアンケートに,「日頃のお礼」「お世辞」以外の何が書けるというのでしょう?

 以前も記事にしていますが,日本のように「本音と建て前」を分けなければ生きていけない世の中では,アンケートに書かれたことなど意味はないのです。

 相手が機嫌よく仕事がしれくれさえすれば,それでよいのです。

 国旗をきちんと掲揚せずに,掲揚したことにして,何ともない顔をしていられる人間がいる国なのです。

 正直に書いてはいけない,というのが「暗黙の了解」なのです。


 こうした小学校の教師には,「上手な担任」という言葉を使う神経があるのですね。

 こういう「裏の事情」は,公開しないのが日本の「しきたり」だったのでは?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より